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ひとりごと

すみませんー

やっぱり8月中は無理でした(汗)
 今月上旬!? できるかなー…
 すみません、今ぜんぜんやってないです(汗)
 直しをしながら、気持ちが上るの待ってるです!
 上ったら即!みたいな!


中島敦『弟子』よみました。
 感想てか良かったと思ったとこメモ。

◆全体
子路のキャラが好きっていうか
 なんか自分と近くてうわーってなるやつ。
 近いといってもあんな勇ましかったりあそこまで正義に対して頑固ではないけど…
 下に抜き出しますが時々それなんで分かるのって思うくらい自分の抱いてた心情がずばり書き出されて。何これ恥ずかしいのみたいな感じで読んでました。
 あんまり同じすぎるといたたまれなくなって読めない、好きになれない、と思います(笑)が、まったくすべて同じじゃないから、いいな、と素直に思える感じで。
 近くてでもちょっと違う、って大事ですね!
孔子はイメージ通りな感じはあるけど
 この二人の関係、いいよなあって(前も書いたけど・笑)。
なんていうか、
 教えを理解し実行する、という意味では、子路はあんまり上手くないってか分かってないじゃんみたいな。
 それを、でも分かってないって表現してるんじゃなくて、子路と孔子という人間の質がまるきり違っていて、その違いのために惹かれてやまない感じ、が、描かれてるなあとおもったですよ。
 特に子路が孔子に対して(惹かれてやまない)、なんだけど、孔子も、子路の美点を(普通はなかなか美点とは見えないかもしれないものを)見抜いていて、それは欠点にもなるけど、表裏一体で。こうするべき、できればもっと、と思うし言うけれど、言いながらも、多分無理というか、これができたら美点も損なわれると分かってる感というか。それひっくるめて見守ってる感っていうかですね。
 そういう、孔子のあたたかい眼差しと、それに浸りきってそれを芯としながら、自分の内の芯を投げ出すことをせず(できず)に、時に衝突しながら従う子路の様子がよかったです。

◆流れ(部分)
 とにかくあの漢語調なのでとっつきにくくてはじめの三行くらいを何度読んだかっていうね(笑)。ちゃんといっぱい解説つけててでも意味は完全には理解してると思えません(笑)。まあいいんだなんか好きだから。

 はじめ子路が、孔子とかいう偉そうなおっさん、口先だけに違いないっつって馬鹿にして乗り込んで行ったんだけど、それを見た孔子とのやりとり↓
「汝、何をか好む?」と孔子が聞く。
「我、長剣を好む。」と青年は昂然として言い放つ。
 孔子は思わずニコリとした。青年の声や態度の中に、余りに稚気満々たる誇負を見たからである。
 なんと、この人、笑ったよ!!!
 これで、孔子にすっかりやられました私。(笑)
 突っぱねるどころか無視もせず、相対するのも受容をもってとか、ありえないわ!なにこの大きさ!
 そりゃついていきますわー…。

 子路はこのあと、学問がどうして大事かを諭されて門に入るんですが、この時子路はひと目見て格の違いを知り圧倒されていたと書かれ。それから孔子がどれだけ優れてるかについて彼の目線で書かれ、孔子の人となりが分かるのと一緒に、子路がどれだけその人に陶酔してるかが知れるわけです。
 いやあ。いいなあ、こんなお師匠様いたら…とか思っちゃうわけですよね、師弟ってイイネ!ヒュー!

 その次の節では、孔子の方から子路への印象が描かれるんですね。
 孔子は孔子で、この弟子の際立った慣らし難さに驚いている。・・・(略)・・・この弟子程ものの形を軽蔑する男も珍しい。・・・子路という男は、その形からはいって行くという道筋を容易に受けつけないのである。
 「慣らし難さ」って!! わかる!
 その理由がまた。「形を嫌う」それも単に嫌うのでなく「容易に受けつけない」。
 うわーーー 分かる…みたいな(笑)。
 形式主義への・此の本能的忌避と闘って此の男に礼楽を教えるのは、孔子にとっても中々の難事であった。が、それ以上に、之を習うことが子路にとっての難事業であった。
 もうね、わかるーーの連続(笑)。
 でもそれでも教えようとしてるんだなっていうその孔子に惚れちゃうわ。せんせいー!
子路が頼るのは孔子という人間の厚みだけである。・・・彼が孔子の感化を直ちに受けつけたかどうかは、又別の事に属する。
 「人の厚み」だけに頼るとかすごい羨ましいっていうか! そして、その教えることの内容と、その人の人間を信じること、頼ることは、また別なんだっていうね。だよね!!!
孔子は此の剽悍な弟子の無類の美点を誰よりも高く買っている。・・・純粋な没利害性・・・孔子以外の誰からも徳として認められない。むしろ一種の不可解な愚かさとして映るに過ぎないのである。
 愚かに見えたんだろうなって。普通には。
 純粋すぎて。なんか分かる感ですよね。


 また、孔子の教えに従い、暴れ者だった子路が親孝行をするわけです。それは、孔子がすべきというから、形だけでも真似たということで、それを褒められても「嘘ばかりついている様な気がして」変な気分になるんですね。しかも「今の自分の偽りに喜ばされている親達が少々情無くも思われる」と、こうきますよ、うわーーー。
 こういうところを中島敦は「極めて正直な人間だったので」こんなことに気づくのだ、と書いてます。
 そうして、子路は形だけでどうにかやってきたところ、あるとき突然、ふと、気づくんですね。自分の親が老いているということに。それへの突然の気付きが、これまでの形だけのものをストンと腑に落としてくるというか、そうして「子路の親孝行は無類の献身的なものとなる」と、それが、どんなものにもそのようにして及ぶのだ、と書いてて。
 あー、ありそう。そういうのありそう…とか思って読むわけです(笑)

 あるとき子路は、人が孔子の悪口を言うのを聞きつけて、カッとなってそれを殴っちゃうんですね。
 それを知った孔子に、遠まわしに、暴力でねじ伏せるんじゃなくて、態度をもって尊敬を勝ち取るんだみたいなことを諭されるんだけど、また同じような場面に遭うと、やっぱカッとなっちゃう。殴らなくてもガンつけちゃう。そういう訳で孔子は「由(子路)が門に入ってから自分は悪言を耳にしなくなった」なんて苦笑交じりに言ったりして。
 そのときの子路の心情描写が。
 子路は此の事で度々師に叱られるが、自分でもどうしようもない。・・・所謂君子なるものが俺と同じ強さの忿怒を感じて尚且つそれを抑え得るのだったら、そりゃ偉い。しかし、実際は、俺ほど強く怒りを感じやしないんだ。少くとも、抑え得る程度に弱くしか感じていないのだ。屹度(きっと)…………。

 特にうわーって思ったのはここで。
 やばい。何この人私?みたいな(笑)。
 この理論マジよく立てちゃいます。幼稚なんやろな私ーw まあいいや(笑)。

 あるとき子路が弦楽を奏でていたら、あの音は荒々しくよくない、正しくはこうあるべきだ・・・と孔子が(傍にいる子貢に)言った。子貢がこれを兄弟子である子路に告げると、子路は、これは、深く考えることが足りていないせいだと、部屋にこもって食事もとらず数日考え込んだ。そうして痩せ衰え、何か得たと信じて再び奏でると、今度は孔子は何も言わなかったと子貢が告げる。子路はそれを聞いて嬉しそうに笑った、というエピソード。
 人の良い兄弟子の嬉しそうな笑顔を見て、若い子貢も微笑を禁じえない。聡明な子貢はちゃんと知っている。子路の奏でる音が依然として殺伐な北声に満ちていることを。そうして、夫子(先生)がそれを咎め給わぬのは、痩せ細るまで苦しんで考え込んだ子路の一本気をあわれまれたために過ぎないことを。
 何これ泣けるーー!!!
 もうね、子路はそんなできない子ではないけど、やっぱそんなには上手く分からない子で、そういう(弟弟子の子貢にはあった)素質はないんだけど、ないんだけど、このまっすぐなところひとつを愛されたのかなーみたいなねーー
 屈託のない笑顔だったんだろうなあ。弟弟子をもほっこりさせるような…。
 人間同士のお話だよねーみたいな。

 さっきの話に戻るですけど
 「没利害性」ってなるほどという感じ。こういう表現ができるのだなって。
 純粋なんだなあと。得がたいよなあ。そして何に依るのかでがらりと変わるのだろうな、その表出は。

 もうひとつ、子路を角の立派な牛にたとえるところがあって、そこで子路という人間をよくあらわしてるなあとおもったです。
子路にとって、此の世に一つの大事なものがある。・・・それは快感の一種の様なものである。兎に角、それの感じられるものが善きことであり、それの伴わないものが悪しきことだ。・・・子路は師の教の中から、此の単純な倫理観を補強するものばかりを選んで摂り入れる。

 孔子も初めはその角を矯め(=欠点を直す)ようとしないではなかったが、・・・容易な手綱では抑えられそうもない子路の性格的欠点が、実は同時に却って大いに用いうるに足るものであることを知り、子路には大体の方向の指示さえ与えればよいのだと考えていた。
 先にも出ましたが扱うのほんと大変そうで。
 それでも、美点を見出し、上手く手綱を取ろうとする、そういう姿勢というか。素敵ですね!師匠!!
 また子路の、純粋であるがゆえにものの奥にある根の部分を確かに感じ取る能力の素晴らしさとか!中島敦がそれをそのように表現しているというのがなんだか嬉しいです。まあ「大きな子ども」とも書いてますが。それはその通りなんでしょうね!

 お話は子路の最期の様子を描写して終わります。
 これまで、子路と孔子また他の弟子との係わり合いや彼の心情を中心に、歴史の流れを合わせて書かれてきたのが、ここにきて突然アクションですよ。淡々と流れるようでセリフは力強く、子路の動きや表情が浮かぶようです。
 雇い主を救おうと単身のりこんで命を落とした子路。遠くで彼の死を告げられた孔子の嘆きの様子も、たった数行が胸に染みます。

  なんかむっちゃ長くなった…。
 とにかく、本能の快不快にまっすぐに従い、それを抑えることができず、そうした愚かさを抱えながらどうしようもなく、けれどそれを美点と見出す人の下について生きた子路という人物の描き方、とても素敵でした。
 たくさん創作で肉付けしていますが、ところどころ史実に沿ってるようで、それがまたなんだか嬉しいところですね!
 いいものに出会えてよかったなー。
 
 書評の有名なもので気になるのが1つあるので、それ読んで終わりにしますー。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110000996526

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