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ひとりごと

親ガチャ

つい人の記事を読んで言いたくなってしまって
(消すかも)

 親ガチャ、という言葉、私は全く違和感がなくて
 あ、そういう言い方もあるのね。と思う程度だった
 ていうか何が問題なのか正直ぜんぜんわからん…。

 なんでも、運だ。と思ってきたので
 まあ、親と子の相性とかもね
 私は運がいい方だったのかもなって思うくらいの話
 でも本当、運じゃん

 前からよく言ってるけど
 人を殺してみたくて殺したり
 ちょっと注意すると激昂して手が付けられなくなるような
 そんな人間に自分がならなかったのも、自分の子(親)がそうでなかったのも
 運だよね

 なんかいろいろ運だよねと思う
 わたしなんかほんまに努力しないから。

 うちはあんまいろんなこと考えたりできないけど
 努力とかでどうにかする、そういうコトを(それ自体はすごいことだけど)「すべき」だというのって難しいなと思うとこがあると思う、のは
 たとえば虐待とかの世代間連鎖のことについてがパッと浮かぶんだけど
 「努力すれば」どうにかできる、かもしれない
 だから、「連鎖はない」という言い方をする人がいる
 どうにかしようと思っている人には、それは励みになるかもしれない
 連鎖「するものだ」という方がくじけるし、子供産めなくなっちゃうかも
 だけど
 じゃあ
 努力「すれば」連鎖はない、と言い切ってしまうと
 連鎖してしまった時、「努力していない」のか?ということになる

 こんな言い方するとよく
 あげ足を取るなとか重箱の隅をつつくなみたいに言われるけど
 でもおなじなんだよ
 どう頑張ってみても、もしくは無自覚であったために、連鎖を止められなかったとき
 そしてそのほうが実際には多いのに
 「努力不足」であるからとされたら

 いや誰も言ってないって言いそうだけど
 「努力すれば連鎖しない」と言い切ることは
 確実に、止められてない人の胸をえぐるよ
 ほんとうには、止める努力こそが大変なことで、しかもおそらく「自分の」努力だけではどうにもならない
(努力ってそもそもそういう性質のものであると思う)
 のに、
 ただ自分だけの責任のように思えてしまう
 し
 そういうのをよく知らない人が見ればそう見るだろう

 じぶんにできることが できたことがあるとして
 本当にそれは「自分の努力」でぜんぶどうにかなったんだろうか
 じゃあ
 それができない人は
 努力をしていない、怠けものなんだろうか

 努力できるながれ、努力できない流れってものがある
 自分でどうにかできることも確かにある
 だけど どうやったってどうにもならないことがある
 どうすればいいのか分からない
 そんなとき
 ひとりでどうにかできることなんてこの世に本当にあるのだろうか

 きっとできる。と
信じられる人もいるのだろう
 それができるかどうかからそもそも違うんだ
 それはいったい「何」に由来するのだろう?

 それを自分自身で作り出すというのか
 もしそういうのなら
 それを「しよう」と思えるのはなぜなのだろう?

 まずもってその「しよう」が出てこない、ところから、人は「違う」のになあ。

 とか、おもう。

 だらだら書いちゃったけど
 努力できるとか、しようと思えることは、それだけですごいことだから
 そうでない人のことなんてまあ考える必要はないよね。
 
ただ
 叱咤激励したらできるようになるようなものではないんだよな…。
 第一信頼感を損ねているとね。自分に。

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