“死んだメスと交尾するサル”を記録…観察した研究者が語るその一部始終これ興味深くて読んだ。
そういうことあるんだーとおもった。
ただ
死んだ個体と性交する=死の概念がない、というのが、ちょっとよく分からなかった。
そういうのって人間でもよく聞くなあと思って…。死姦というやつか
そしたらつづきで、安易に結びつけるな。って警告があった。
死亡個体と交尾するサルは“異常”なのか…「死の概念」はヒト特有のものかもしれないと言える理由 でもどうして結びつけられないのかよく分からなかった。
死姦っていうか、ネクロフィリアと呼ばれるものがあって、つまり死体という異質な状態に「性的興奮」を掻き立てられる人、という定義があって、それはもしかしたらここには当てはまらないかもしれない。
でも、死姦という行為が全て、そうした性癖と結びつくものではなさそうかも…日本でも聞くし海外でも結構聞いたなと思って…。まあ捕まってる話だけど。古代はふつうにやってそうかも。しらんけど。
よく思ってたけど性交するときの異性の身体って時にただの物質なので…いやそうでないひともいるだろうけどね。普通にそういう感覚あると思う。
生きていようが死んでいようがあんま関係ないかもで…形があって出来さえすれば。
だからそういう人形さえ作られるわけで。
なんだろう
「死の概念」という定義って、そもそも人間でも曖昧だし…
今でも、なにが「死」になるのか、よく議論されているようだし
でも、たぶんここでいう「死の概念」って、
たぶんだけど、「死」を目の前にしたら、もっと「恐ろしいと思うもの」だ、とかそういう感覚のことを言ってるのじゃないかな、とかおもって、
もしそうだとしたら、そういう「感覚」こそ、人間特有のもののような気がして…
なんか、信仰とか思想の始まりを考えるとき、
「おそれ」が神のようなものを想像させるし、それを祀ったりなだめたりする必要性を生み出すという考えが今は一般的なようで
つまりは、人の「暴走した想像力」がそうしたものを作る、みたいな考えがあって…
「死の概念」が、もし「恐ろしいもの」とかいうものだと考えられているのなら、それって人間のもつ強すぎる想像力(そのためにいろいろ予測し先回りして生き残ってきた)がうむもので、サルにはないかも…
でも、そういう感覚がないからと言って、「死」を認識していないとは言えない気がする…とかおもって…
死の概念って動物にとってどういうかたちであれば「ある」とされるんだろう?
ひとでも、遺体を相手に性欲を満たすことをするのに、(死というものへの忌避感とか道徳的な感覚がないか薄ければ、あまり抵抗がなさそうにおもえて)
動物がそうすると、それは「死んだと理解してない」から、になるのかな…
死んだと理解していない、のだったら地位の高いサルだってしたらいいのに
死んだと分かっているから、地位の高いサルには無駄なことだと感じてしないけど、低いサルはどうせ無駄でも他に可能性がないから…みたいなことがありそう
生殖のためだけに性交するわけじゃないじゃない そのためとして植え付けられた欲求としても本能だからしたい、それが実際的に無意味であってもそれとこれとは別というか、抑圧された「したい」が上回れば必要性とか超えそうというか
そんなことをばくぜんとおもってしまった
どうしてそんなにきょうがくしたんだろうとおもってしまって・・・
他の動物を見ているとありえない、とかかもしれない。
他の動物は死姦の例はないのかな…?
だとしたらむしろ人間に近いという話になるのかなあ
きになってきたぁ
でもたくさんの事実を自分の目で見て確認して積み上げてきた研究だから
しろうとがてきとうなことをいうのはよくないかも
ひとつひとつが次の発見への大事な土台になってるんだよね…敬意を示さねば…。
出てきた事実に対して想像で言うのは簡単だもんな… 事実をつかむことこそが地道な努力でとても大変なことなんだもんな…。それがないとなんの発展もないもの…。すごいことだ。