>名前忘れた名無しさん
こんにちはです、コメントを残してくださってありがとうございます!
にゃんこをお迎えしてしまいました…。前のにゃんこの代わりには絶対ならないけど、でも、もふもふとゴロゴロのある生活が戻ってきて、にゃんこたちには感謝してます! いやされ~^^
さいきん夜の運動会やってます。昼いっぱい遊ばせなければと思います><
温かいお言葉ありがとうございました!!
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暖かいような寒いような季節ですねー
ねむたいです。
ときメモGS4もたまに楽しんでます(男の子のグループを作るのがとっても楽しい…今回のこれはとってもいいかも… 単体で仲良くするのもいいけど、グループで仲いいの見るのがすごくいい ただ、主人公を好きなグループってなるので、脆そうで怖い><)。
ここ数日は天の牛がもうちょっとで終わるとおもって頑張ってました…。
どうにかやってみたんですがやっぱ難しくて
これから総括でも読もうかというところ(気づきがあればエジブログのほうに書くかも)。
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そうそう最近思ったりしてたことをメモッとこう。
ヒッタイトの神話に少しだけ触れる機会があって
数字の「7」が印象的だったので、どうして「7」なのか、と尋ねたところ
それ自体はメソポタミアあたりからの借用であって
実際、この文化では別に7ではなかった的な話になったんですが
(そこでメソポタミアって7のイメージ確かにあるけどそれもなんでだろう&やっぱセシャトはあっちの影響受けてるんじゃないかみたいなあれこれが浮かびつつ)
借用。そうですよね、
神話学(比較神話学)の本読んでて思ったですけど
物語って「借用」されちゃうんだよね。
ある程度自分とこのイメージに替えたりすることはあっても
その物語自体が、その文化にとって大事だったかどうかは、分からないというか。
面白いから、語られてただけで
文化的な背景というか、そういうもののつながりは特にないかもしれないとか。
逆に
借りてきた結果、そういう思想が広がったみたいなことだってあり得て
むっずかしいなあ扱い。とか思うわけです。
いまやってる『天の牛』なんかも
たいていははじめの(前半部分である)人類滅亡神話が注目されていて
訳すのも、そこまでしか訳されてないことがほとんどみたいに書いてた。
(まあ私もそこに興味があって訳し始めたんですけども)
なんでそこが注目されてるって
他文化にも「人類滅亡神話」があるからですよね。
でも
エジプトの、天の牛の書の中では
この神話の後に書かれている思想こそがエジプトの思想であるという感じで。
(まあ前半部分も、儀式の起源神話を含んでるなという感じですが… 起源神話って、この場合どう見ても神話は後付けで、「理由を物語で説明してる」感じですが)
エジプトの思想それ自体をよく知りたいと思ったら
前半もだけど、より、後半が大事なんだろうなっていうか
うちは後半の思想の話が好きかなっていうか
(前半の思想も、お話の筋というよりもえがき方が好き)
それが「神話」だ、と思っていたりしたので
エジ神話って物語じゃないな、という発想になるわけで(正直それって「神話」なのかどうかって話だけど)。
つまり
物語は「借用」されるもので
面白いから広がるし、印象深いから利用する。
だから、物語の流れや構成そのものから、文化を知ろうとすると、
間違うこともありそうだなあとちょっと(改めて)怖くなったり。
でも、そこの文化思想が物語に反映しなおされたり
逆に思想のほうが物語に影響されて変わったりもするだろうし
その辺細かく見ていくのはとっても難しそうだなあ
と思うとともに
そこまでチェックしないと、「神話」を正しくは読み解けそうにないなあとか、思った話です。
うーんしかし
エジ神についての有名な本でも、切り口がみんなそれぞれ違うもんですね…。(はじめに、あたりを読んで放置とかしがちw 拾い読みでもしときたいっすね)
全部読みたいけど、気力がないよー わら
日本語にされてるやつすごいよ・・・せめてにほんごのは読みたいよ・・・
国立図書館デジタルコレクションとかうまく使えばいける??
つかえるんかなー・・・でるんかなー・・・w