この記事読んだ。
「僕らは一緒かも」23歳で逝った京大生が遺した“死にたい人”への想い|山口雄也×yuzuka~
本音ってやっぱそうだよねって思ったっていうか…。
よく本音出せたよなっていうか
実ははじめ二ページ読んで閉じて、もう一度読み直した(よくやる)
いつもの「病気できつい。でも、だからこそ生きなきゃ。がんばる!!」なやつかと思ってて
なんだろう。こういう本音が嫌われそうというのはすごくわかる
でもたぶん
病気≒ちやほやされる=生きたい
元気≒ちやほやされない=しにたい
みたいなことはすごく想像できるというか
なんかちょっとフクザツですよねこの後編の記事。
でもこういうのあるような気がする
闘病って「頑張って前向きになるべき」みたいな
そう望まれてるみたいな
そしてそれに応えること自体が、承認欲求を満たすような
あー
でも私病気になったことないしわかんないかも。
(きゅうにひっくりかえすやつ)
生きていればそれだけで幸せだと思える、そうあるべきだと
病気になったらそれが分かる(分からないのは甘えなんだ)と
そういう論調がすっげ嫌いなんで。
でもほんまに病気になったらそう思うかもしれんね。
いやちがうわ。
たとえ病気の時にそう思っても、元気な時にそれをずっと継続したりは、私はしない。できないし。
そこを責められるの納得いかん
そんな「高貴な精神」持ち上げる意味あるん・・・?
なんてついおもっちゃうあれ。