あやめです~げんきです!
11/4(日)は九州コミティアですね! 二回目ですね!
スペースはN05です。よろしくおねがいします!
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スターシステムについてかんがえました。
スターシステムというのは、キャラクターを俳優に見立てて、他の作品にもそのキャラクターを、設定を少し変えて出演させるというもので、手塚治虫氏がはじめに漫画で表現したのだとか。
うちの知ってる範囲では、CLAMPの作品もけっこうそういうとこがあるですよね。
うちはこれが苦手という話です。
(以降無駄に長いしあんま気持ちいい話じゃないです)
考えてみれば、作品の中で、それは無理って主張をしたんだなみたいな。
しかも理由とかは全然示せてないですよね。正しいとか思ってるわけじゃない。(いろいろ受け入れられる方が得だ、とは思ってるんですよ。できないけど)
並行世界とかも苦手で、ギャグとかでやるのは全然大丈夫なんですけど・・・いやなんだろう、主張があってやるなら見ます。輪廻転生とかも。
うーん。なんだろ。
まあ私あれ、過激派なので。いつも。
自分の受け入れられる範囲はかなり狭いし、それ以外は無理!w
まあ、人種が違うという話と思います、これを正しさの話に持っていかれると戦争になりますw 私は好きでない、それだけ。正しいという主張はしてない!
そうなんですよ、別に正しいとか思ってるわけじゃない。そんなのわからんし(正しいと分かったとしても受け入れが難しいやつだ思いますこれ。自分には)。
うーんと
「環境が変われば性格も変わるから」。
そうでしょう。それは私もそう思う。容姿がそっくりでも全然違うとかは普通にあるでしょう。
でも、名前まで一緒にする必要ってある? 連れ添う人まで一緒ってことある???それこそ、「性格が違う」のに。
私よく思うんですよね、リアルで、目の前の人が現実とは違う関係であったとして。例えば性別が違ったり、立場の上下が違ったり、年の離れ具合が違ったり、趣味が違ったり、出身地、国が違ったり…してみたら、どうか。
まあ、同じような関係にはなってないな、ってかなり思います。
・・・ていうのは私自身が、そういうものに捉われずにやれないからかもしれないです。それはそれでどうなのってのは分かりますw
相手に惹かれるとき、そうした、環境からの情報が影響されないことってほとんどないなと、実感してるとこがあるので、そう思うんですよね。
でも、そういうのはほんまに関係ないっていう人も、いるかもしれない。だから、間違ってるとは思ってないです。ただ、そんなにはないかなと思います。
人って、勘違いする生き物だから。思い込む生き物だから。理由なく惹かれたと思うとき、そこに環境や外見の情報など影響してないと考えがちだと思います。でも、ないわけがない。すごい思う。特に外見の影響。
無いわけがない、と、まあ私は思ってます。思ってますけど、それが絶対正しいかどうか知りませんし、関係ない人もいると思うので。
そういうのを素敵と思ってた時があったんですが、ひっくり返してきてるので。自分でひっくり返したものはもう平常心では見れないんですね。そういうのすごい多いですねw でももう一回ひっくり返せば違うと思います。そういうときが来ないとは限りませんよね!
えと。話戻して。
輪廻転生?みたいなのが嫌いではないんです、ぐっとくるのもある。でもどっちかっていうと、容姿が一緒で性格も一緒でも全然おかしくないけど(魂が同じ、というからにはそっち《=性格一致》かなと考えてしまう…)、関係性こそは変わっててほしいなと思うんですね。
それは、そうなるんじゃないか。という私の信仰の表れだし、どっちかっていうとそうであるだろう、そうあってほしい、と考えてるからだと思います。
つまり、そういうモノの捉え方、価値観、望み、が、違うんですよね。
私、とは何かと。
この、「私」というのを漠然と、魂とかバーとか呼んでいるのであれば、それこそはその人の記憶やら性格が反映されてるだろうと。
運動が得意だった人が、他はそのままでも運動が苦手に生まれてしまったら、付き合う人も生きる舞台も、それから価値観も、変わりそうだなと思って、
それらが変わっても一緒にいる誰かがあれば、まさに環境的な「繋がり」があってこそかなって。
うちのお話でいうところの、ドサムがホテアにするように。
親子みたいな関係が前提にあって、そしたら性格が変わっても大事にするかな。
それでも、親と子それぞれの相性が違うように、同じように愛情を注ぐことは、やはりできないと思うなあ、と。
もっと言うと、容姿に惹かれたのだと言うなら理由としては完璧だし、実際そういうことはかなり大きいかなと思います。好き、と思う程度であれば。一緒にいてどうかはまた別だと思うけど。
キレスが顔がいいだけのイケメンだったら、シエンもあんなに惹かれてないわけですよ。ケオルの場合は、逆に関係が悪くなってた可能性はあるぞ。できる弟とか絶対嫌じゃない?まあ私は嫌かな。お兄ちゃんとの関係も変わりそうだよこんなの。
それでまあ、ラアがうるさいじゃないですか。
「私」というものへの執着。じゃあ例えば記憶がなくなったらどうか、そしたらそんな執着どこかに行っちゃうだろうと思うんですね。
そしたらもう、元のラアではないわけですよ。ラアはそういうことを言ってるんですけど。自分はその時点でもう死んだのと一緒みたいな。
そういう、「私」という認識ごとに名前が付けられるはずだ、とか、思っちゃうほうです。つまり新しい記憶をもった自分はもうラアじゃなくてアテンとか何でもいいけど別の人なんですよ、体とか全部そのままなのに。
ラア的にはそういう感じです。
でもだからそういう感じで認識してると、人って実はじわじわ変わっていくので、この時点で大好きと認識していた相手が、数年後にはその認識から当然ずれるわけで、そのあとも同じ認識を保てるとは限らないですよね。
本人は同じなのに。連続性が保ててるかどうか、というか。保てなければもう別人という判断を、実際、しているものじゃないですか。
認識を更新してまた付き合えるかどうかっていう。人同士ってめんどくさいですよね。
まあでもそういう変化は当然自分の中にもあって、いつも変化が緩やかとは限らないので、しっかり連続性をもって、例えば受け入れがたいものが受け入れられた時、変化した自分の連続性を保つ接着剤となるのはその理由付けかなとか思うですよ。
あ、何言ってるのかわけが分からなくなってきましたね。
私も正直よくわからないですw
スターシステムとかが好き、という方は、ここまで読まれて不快な思いをされたかも、すみません。
「そういう人もいる」というだけの話ですので、悪しからず…。 私もそういうふうに考えてます。そういう人もいるんだ、考え方が違うなあと。
好きな人がたくさんいるのは分かるし、好みが違うなあというだけの話なのです。
まあとりあえず
自分によく似た何かがあっても、それは「私」ではないということです。私の信仰では(笑)
クローンとかもだから別に問題じゃない。双子みたいなものだと思ったらふつうに。もともと持ってるものがよく似てるだけで、別の存在ではないですか。
あーでも私と同じような考えの人とかいたらちょっと話してみたいよな。
そしたら、嫌になって考えを改めたりするかもしれませんよ(笑)。
とりあえずまた生まれ変わって似たような人生とか本当に勘弁してほしいです(笑)。まったくおもってないけどw