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ひとりごと

黒猫が置物になったんですよ。

ジブリの『耳をすませば』の評判を聞くたびに
 私が好きだった『耳をすませば』は何だったのかみたいな気持ちになるんですよね。

 もうn回目って感じですけどw

 原作、こってこての「恋する人」が前面に出ていなかったので、読みやすかったのだと思う。

 何が好きだったのかって言うと
 ・黒猫追いかけたらそれにそっくりな置物にたどり着いたこと
(これがまず一番、物語で引き込まれたところなので、これがない時点でもう終わった…私の中で)
 ・主人公がファンタジー童話を読むことを、子供っぽいと茶化していた彼(セリフは「今どき妖精でもねェよな」)が、ファンタジー童話系のイラストを描いていたという事実
 →それによって、照れ隠しのセリフであったこと、同じ方向で夢を抱いていたこと、彼も「子供っぽい」と言われていたが自分の夢を貫いて絵を描き続けていたこと、がわかる所
(つまり、借りた本にいつも同じ(彼の)名前があるというのは、趣味傾向が同じだったということなんですね…気を引くために先回りしたとかではなくて。ちゃんとまともな理由があるんですよ)

 なんかファンタジー的なふわんとしたものが紛れ込んでるのがすごく好きだったんだなあ。
 まあ私、他の作品見ても
 絵本とかおとぎ話風の、ふんわりしたファンタジーが好きですよね。
 あとやっぱ、彼(セイジ)というキャラクターの立ち位置と、それが分かるところの爽快感とか。
 あ―――そういうことだったのか!!!があるじゃない。好き。

 映画はそれ全部、無いんだもんな。
 何で同じタイトルとキャラで作ったの?としか…

 いろいろ解釈間違ったり勘違いしたりが多いので、作者さんの描きたいことを読み取れていないかもしれない・・・と思うけど、
 個人的には
 ふわふわしたことを夢みたいに語って、非現実的だ、いいかげん現実を見ろ!って言われる。実際そうだけど、でも、「夢を見ることは、原動力になるんだ」。
 って肯定してくれてる感じがして。
 その感じが好きだったんだよなあ。

 泥臭い感じもなくただ夢を追ってる感じの彼で
 同じ絵でも、今頃よくある、漫画家になる話みたいな、スポコンみたいな必死さは全然感じさせないやつで。何かに「成ること」を目指しているというより、自分が描きたいものを自分の中で追求してる感じがする。
 だから漫画はリアルでないっていうか、ていうか、
 リアルに考えると、このまま彼が画家?イラストレーター?になるっていうのは難しいかもしれない、って、思う…けど、「夢をつかむ」というリアルではなくて、そうした夢を「持っている」ということ、「持っていた」ということ、それ自体に意味があるというか、否定することではない。恥ずかしがったりすることではない。っていう、
 つまり現実の土台ではなく、精神の土台を作るような、
 そういう話みたいに思えるんですよねえ…。
(だから、実際に夢をつかむための一歩というより、実際つかんだものは目指していたものと違っていても、「あの時大事にしたきもちが、今の自分を支える」みたいな流れになりそうな感じがした)

 それが映画では
 「現実を見ろ!」ってされるでしょ。
 現実はもっと厳しい。そんなものじゃない。だからこそ努力して「夢をつかみ取れ!」
・・・みたいな。
 真逆じゃないか、という印象がすごくて。

 まあとっても個人的な意見で
 先生はそんな漫画は描いてないって言われるかもしれないけど…(笑)

 私は恋愛があまり好きじゃないんで
 そういう、ファンタジックなふわふわ感と、そうした精神の肯定が、引き算され、リアルにかかわる理想をたっぷり足し算した映画のほうは、好きになる要素が残ってなかったんですよね。

 私、正しかったりリアルだったりするものより、自分の心が救われるものを見たいので
 notformeなだけなんです・・・。


 しかしなんで「猫が置物に!?」ってやつ削られたんだろう
 宮崎さん的に「くだらない」ことだったんだろうなあ。
 たしかに、何がそんなにいいのかって言われると説明できないかも。すごく子供っぽいのかも。
 でも、私がそれに惹かれたのは事実で(ていうかあの漫画の肝みたいな部分では?)(夢のようなふわふわ感の現れで、そう感じちゃう感性が創作につながるのでは…?)
(しかしそんなふわふわ感では現実には創作なんかできませんよ、というのがおそらく宮崎さんの意見・・・それは実際そうなのかもしれない。うちにはわからん)
 今でも、特に理由は説明できないけど、あの「驚き」は残っていて
(いや、実際には、自分が驚いたというよりも、そういう「子供っぽいこと」を漫画の主人公が「本気で」信じて驚いてた、ということ、それを、作品の中でまったく否定しない流れになっていたこと、が、印象に残ってるんだと思う)
 そういうのを、不要と捨て去られてしまうことについて、もやもや考えるんですよ。
 私が子供っぽすぎて大人の世界を理解できない、足を止めたまま進めていないダメ人間なのか。

 でも原作では、「そういう気持ちって、大事にしていいと思う」というメッセージが込められていたように感じるんだよね。
 でも映画では「いつまでそんなことを言ってるんだ」っておっさんに怒られてる感じになるんだよねw
 個人的には、母性いっぱいで描かれた原作を、父性で読み替えて映画にしたら受けた。みたいに見える。
 ふわふわでリアルでないことって、今頃大事にされないからなあ…。

 でも否定されたくなかったなあ・・・

 子供っぽいファンタジーが好きだと、いけないのかなあ・・・
 あまり意味が無さそうな、なんとなく面白い程度のふわっとしたファンタジーが
 なぜ今も染みついているんだろう?
 それって
 心の底に根付く
 大事なものなんじゃあないのかな…。

まあ しらんけど

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