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ひとりごと

タンスをあけ、壺を割ること

人様の家のタンスをあけ、つぼを割る
 そういう「ゲームだから」の「リアルではありえない」部分に
 「ありえない」とツッコミを入れることを
 私個人は無粋に感じて好きではないです。

 「そういうコト」が「ゲームとして」楽しい。という実感を得ているので、
 あり得るかどうか、リアルであるかどうかみたいな視点で話すのはやめてほしいと思ってるとこある。

 ああ。
 これ前の記事と被るのかな

 プレイヤーの「残虐性」を言うのなら
 FPSとかのほうが明らかにそれ(ちなみに苦手)。
 でも、リアルっぽい感じがある(むしろそれがどうかと思う)。
 けども、同じ意味で考えれば
 ゲームとしては面白いわけで
 そういう楽しみ方に眉を顰めるのは
 「ゲームばっかりして馬鹿になるわよ」と言ってるママと同じだ

 まあ実際には私も思うときには思うので
 しっくりくるか来ないか
 合うか合わないか
 だけのもんだいなんだろう

 アンテとか、
 よく評価されてるような「残虐性の批判」と、私は受け取らなかった。
 Gルートやってないし、無視してるくらいだから
 そういう意味で自分はトビー氏の作品を、きちんと評価してないんだと思う(のでデルタも半信半疑である)。

 残虐性がひびくのは、
 そういう感覚を持っているという自覚があるからだろう
 私は自覚がないのだな。

 残虐とか。
 そうだな、攻撃されたらし返すのは当たり前だと思ってる

 だからアンテでも納得いかなかったのは
 そっち(モンスター)が攻撃してこないなら、たしかにこっちが悪かったと思う。けど、
 攻撃してくる以上は、何言われたって「お互いさま」なんだよ。
 そこは詰めが甘いというか、攻撃(のつもりはなくても、実際当たるし、死ぬ)(こっちは攻撃しないでも何回殺されたと思ってんだコラ)しておいてそんな話に持ってくことにはむちゃくちゃ腹が立ったよね。
 本当にずっと引っかかってる。
 トリエルにしろ、まったく攻撃しないなら分かるけど(してきても違和感があるようには作ってあったが)、
 正直、自分を守る立場に立ってると信じてたものが一転して攻撃してくるというのは(脅し程度であるとしても)、ふつうに衝撃で、こっちも全力でやるよそりゃあ。
 信じられねえと思ったよ。
 信じられるような絆も特に結んでなかったしな…。

 基本的に
 逆手に取る。というのはあんま好きくないけど…
 
 「そういう流れ」を作ってるのは、制作者自身で、
 そういうふうに流しておいて「あー、やっちゃった、いけないんだあ!」みたいにする、そういう精神を疑うよね。
 お前らがしたんだろう、と。何度も思った。

 他のゲームでも思った
 基本、プレイヤーに「リアルを気づかせる」ような展開になると
 我に返らせていただいて、そしてだからこそごめんけど、ゲームも「人が作った」という視点から見るので、
 「なにを意図してやってんだよ」ということになる。
 ゲーム画面の向こう側から、制作者が指さしてこちらを見ている感じがすると、
 私も立ち上がって投げつけるんだよ
 「お前らがそうしたんじゃないか!」ってね

 私は、ゲームの画面の中のキャラに、「あなたがやったせいで」って言われる。
 でも私は、ゲーム画面の裏側の制作者に向かって「この責めを私に向けさせてるのは、あなただ」と怒る。
 One Shotでもそういうかんじだった。

 視点は新しく衝撃を伴うことだったろう
 けど
 私はゲームにそうした視点を持ち込まれることが不愉快だったというか
 ゲームをしている私という人間性をゲームの中で批判されるなら
 ゲームを作ったあなた方についてを、私という個人は、批判し返さずにはおれん。
 「たしかにその通りだ」なんて素直に思えなかった。
 「私」という個人が、リアルにそこに入り込んでしているわけではない。
 いつも、ゲーム制作者が、ここで私に何を見せてくれるのかと、半分浸かりながら半分は「私」を保って、いつも「半分のりうつる」つもりでやってる
 プレイヤーは私自身そのままではない
 制作者が作ったキャラクターに、半分のっかってるだけだ。
 そうして「私」を半分捨てて、そうでないものになって楽しめるのが魅力であるのだし。
 そういう、制作者がキャラクターを作って与える、ことをしないゲームを、私はあまり好きではない(キャラメイクするようなやつが苦手)(そしてどんなに自分でキャラをつくり、性格傾向を決められても、結局それは「私」では絶対にない。制作者=神の作った枠の影響がありまくる)。


 言いたいことがあるなら聞かせてくれよと。
 そう思ってやるんじゃない。
 なるほどなあとかすごいなとか楽しいとか、思わせてくれたらうれしい。
 そうは思わない、と考えることもある。それは、本でもゲームでも同じ、物語を提供するなら、そこに主張することがあるわけで。私はそれを受け止めるしかない。ほんと、本を読むときはおもう。作者は一方的に私に話しかけてくるけど、私の反論や質問は決して受け付けない。ただ言いたいことを言うだけなんだ。
 そして「作品」とはそういうものであるはずだ。
 そうして一方的に主張する道具である「作品」が、私の個人にまでそれを及ぼしてくるなら、黙っていられないんですよ。上からむっちゃ踏まれてる感じがする。
 そんな絶対的なところから…。こっちは抵抗できないじゃないですか。言われっぱなしなわけ。

 ただじゃおかねえよ表出ろよ(怒)って。w

 それに触れるときは、私たちプレイヤー・読者、は、製作者・作者の作り上げた世界に入り込む「訪問者」なわけなので
 そうやって訪れた先で、世界を創った制作者つまり神に、お前そういうとこどうなん。とか言われたくねえよ。
 プレイヤーは神ではない。どうにもできん。与えられたシナリオを(自由度があるとしてもその範囲で)こなすことしかできん。
 神は製作者で。これを作ったのはあなた方ではないか……。

 しかし息子とか見てても
 Gルートを喜々としてやっちゃうあたり
 残虐性を突かれてショックとかより
 そこまでの敵と戦って勝ちたいみたいな、結局強いものになりたいのかなあ。
 そういうのがあんまなくてね。そうすると受け取るものも変わるよね。
 Gルートの存在が理解できないくらいなので
 私は本当あのゲームの魅力が実際にはわかってないんだろうな。

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