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ひとりごと

うわべの肯定、みたいな?

今読んでてすごいもやっときた

https://news.yahoo.co.jp/articles/552519067dff9953bd01a093c8bca3ab73923be6?page=2

主義主張や好みは千差万別なのだから、もちろん我が子の運動会だって、いちいち見に行かない選択があって当然である。しかし、6年間一度も来なかったというのは本当だろうか。実は来ていたが、夫自身が気づかなかっただけなのではないか。



 この文の意味が全然分からん。

「我が子の運動会だって、いちいち見に行かない選択があって当然である」
と読んだ時、すごい、こういう割り切りができる人ってなかなかいないよな。そして実際まあそうだわな(子供は寂しいだろうけど)、とおもった。

 だけど、続く文では、そうした主義主張は、どうやら「ありえない」と思ってる様子で…

 そうでなかったら、どうして「本当だろうか」「(来なかったというのは)思い込みかも」とか、「まさか」みたいな反応するかな。

 こういうのすごくわからんのだけど
 それもアリだよねって肯定しておいて、いやまさか(本当にはしないでしょ)みたいな…
 なんでうわべだけ肯定してるの…? 意味がよく分からん…。

 というのは似たような感じを自分に対して受けることが多いと思ってるからかも

 
 このあと
なにより、子どもが頑張る姿を見たいとは思わないのだろうか。
 と書かれてるんだけど
 私はないんですよね。
 自分ならさあ 確かに親が来てくれなかったら寂しかったと思う。
 でも、「子供が頑張る姿を見たいと思うか」って言われると正直べつに、なので、
 運動会は見に行くものだからという義務感が一番先にある。
 とにかく慣れないこと、気持ちがすっと入っていかないこと(この場合は「子供を見に行きたいから行く」と感じられないこと)には抵抗を覚えるので…。
 子供にも関心がないのかよって感じだけど、本当にそうなんだよ。でもわが子にはやっぱほかの人よりは関心があったよ。そう思う。だけど周りの普通レベルの関心には足りてないんだろう。子供の周りを覚えないのも、記憶力が悪いんだと思ってたけど、関心がないだけかもな。

 スポ少の時も、周りのママさんがいつも試合を見に行ってるのが(特にそうしたいという気持ちが)分からなくて焦ったけど、
 ネットでは「別にいいんじゃないかな」という声が多かった。
 でもそういうのも全部、上のと同じで、「いやだからってまさか本当に全く行く気がないわけではあるまい」と思われてたのかなみたいな。
(スポ少のことはちょっとよくわからないんだけど、自分の親も見に来ることなかったし、ていうか他のママさんの話聞いても、自分の頃は親はこんなに見に来なかったと。なのに自分は「行きたい」から行くの。不思議すぎる。いや行きたいで行くのはいいんだけど…なんで多くがそうやって「(親はそうじゃなくても)自分はしたい」とおもえるんだろう???)



正直、がんばりを見たいとは特に思わない、という考えの人はいると思う。
 大多数ではないにしても、そこまでマイナーというほどの少数ではないとおもう
 でも世間のこういう「常識」は
 否定されない、どころか「美点」となっている常識だから
 こういう記事が書かれるし、そういう感覚が「当たり前」とされて、強調されていく感じがあるなとおもう。

 実際そりゃそういう感覚があるほうがいいに決まってるけど
(子供からしたら間違いなくそうだよね。自分も子供の立場に立つとそう思う)
 だからって人の心ってそううまくはいかないもので
 こういう「常識」みたいなものでどんなにそうあるべきと刷り込んでも
 そうでない人の気持ちが、認識されないで浮くだけなんだと感じるかも。

 常識、当たり前とされる、「良い感覚」を持っている人いは、まさに当たり前すぎて疑問も持たないんだろうけど
 そしてそういう人からすると、持ってない人って単に「非常識」なんだろうけど。
 そういうの持ってる持ってないが生まれつきで分かれるのかなって思うと、なんだかな。

 こういうのの仕組みってよくわかんないよね。ほんま。

 「良い感覚」を持つべきとされるのは、正直分かるんだよ。
 あるならあったほうが良かったかもと思う、反対の立場になって考えればまあそうよね。
 でもないもんはないので、自分の気持ちに嘘はつけないというか。
 こんなのでほんと悪かったよねと思う。
 私がもし「子供の頑張る姿を見たいと思う」人だったら、
 ありえない。とかんじるのではないか。
 そういう「持ってる私」を私の中に作りだして、「自分ありえない」って言わせたりとか。
 まあそれでも、改善する気はないっていうか、むしろそこまで言われたらもう変わってやらねーみたいな感じになったりしてね。

 それでもなんていうか
 そういう「良い感覚」を、ふと自然に持ててる自分に気づいたりしたら
 むっちゃ褒めちゃう。自分を(結局自分かよ)。

 って、なんかすごく、常識を問うようなかきかたしちゃったけど、
 私の問題は、こういう「普通はした方がいい常識」が呑み込めないことと併せて、っていうかより、
 「ふつうはこだわらなくていい常識」にうるさい、という変なバランスでできてて
 その、それこそたいていの人が「そういう常識はいらない」と言われてるような事を大事にしようとしてるほうが、ちょっと問題なのかも。
 うちにはそのへんの違いがちょっと分かってないらしくて、
 でもみてると、
「ちゃんとしてる」感じの人が、良いとする常識と、そうでない常識というのが、どうもあるっぽい。
 うーーーん。
 そういうのが分かってないというのが、つまり、ちょっと頭が足りてないなあと最近しみじみ思う。

 あなたは普通だよって言われながら、それはおかしいと怒られるのがずっと引っかかってたけど、
 「あなたは普通(に頭が悪いだけ)だよ」、という意味で言われていて、おかしいのは「理解できる頭がない」という意味なんだなあと思うと、なんか納得できちゃうのね。
 今更気づいた。

 こういう記事読むと…
 私はそこまでじゃないので、ちょっと安心するとこはあるけど、
 一歩間違えば(というか、もうちょっと「分からなかった」ら)、同じになってた気がすると思って、よくブルブルしてる。
 なんでこの人はこうなのかな。
 病気ならうちも同じなのかな。とかね。

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