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ひとりごと

ちがうな~

二人目の高校受験ですが
 一人目の時は一緒に勉強してすごい自分も頑張った覚えあるけど
 二人目の今は全然やってなくて。
 ていうか拒絶されてて。
 塾の先生に頼り切って、私は送迎だけ頑張ってます。

 週4日くらい塾の送迎してると
 小学校の時、習い事とか吹部とかミニバス頑張ってたことが思い出され
 いやあのころに比べたら楽なもんで。よくやってたなあ…

 教えるの好きなんだけど拒絶されるほどいやな教え方なのねー。
 落ち込む。
 たしかに上手じゃないけど(笑)
 息子の時は気が合っただけなのねー…。 まじそれな。

 飲み込みのよさとかあるよなあ
 人って生まれつき違うよ。と思う。勉強は分かりやすい例だね

 生まれつき違う根っこの部分
 見えてなくて、これから変わることもあるとは思うけど
 ほら。パラメーターの上限ってあるし。
 覚醒時期とかもあるしさ
 上限を超えることはないのよ。

 いやでも人って面白くて
 肉体とか器質的には、可能性はあるかもしれない
 それでも、時を経て選択を続けると、もうその外側はないも同然になっちゃう
(その選択という一連の繋がりをなくすと、「可能性」は広がるかもしれないけど)
 それを「だんだん可能性を失う」と後ろ向きに表現する人もいるけど
 私は、それは「私」を作り上げているもので
 可能性を、その限りの外に広げることは、「私」を失うことだ、と感じる。

 それでいいならそうしたらいいし
 私はそれをあまりいいことだと感じないかな。
(異論が出るのは想像つくけど。そうした価値観にずっと抵抗してきた感じある)

 「私というもの」をあまり軽く扱われたくないというか

 まああまり強くあってもいいことはないかもしれないけど

 「私」ってバカなものだ、みたいな新書がありましたが
 馬鹿で結構。と強く思います。
 そうした「私」を取っ払い、何者でもないものになって、馬鹿さをコントロールしようと。
 そういう提案でしたが、賛同できませんでした。
 立派な提案でもしっくりこないと私は嫌だな。
 ていうか立派になるってそんなに大事?
 理解できない。そういう感覚、呑み込めない。
 そうして面倒な私を保ってきたと思う

 その面倒な「私」こそ「私」で

 それが、自分の脳の一部が作り上げた物語に過ぎないとしても
 そんな小さな「物語」に翻弄されているというのが事実だとしても。
 それこそが「私」である、と感じることにしっくりくる
 馬鹿で愚かで意味の分からない、理論的でなく矛盾だらけな「私」
 そんな「私」だからこそ、いいのじゃないかなあとか。

 否定されたくないわ。と
 おもったりします。

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