じかんかかったー><
新書にしては珍しく、著者の書きたいようにかいてタイトルそのままの内容だった、と思う。
こういう本はあれ、すごく、先生の講義を長時間聞いてる気持ちになる。なので合わないと辛い><
中身は素人の自分にとってはいろいろ面白いところも多くて
たとえば、イライラしたり怒ったりしたら、いま活性酸素がいっぱいできて老化してるわーっておもったり(笑)
ひとつの細胞がいろいろ取り込んで増えて増えて人の体みたいなでかいの作っちゃうってすげえな。みたいな
ふつうにおもしろいとおもう。
で、なんで死ぬか。の話は
思った通り(しかし本を手にしたときには思わなかった方向で)
次世代のために、で
新しい世代のほうが多様性が高いので、それを生かすために。みたいな
あと、先生アンチエイジングのほうの研究されてるのか
それについての言及がさいご多くて…。
この社会がよりよく回るためには、っていうすごく個人の意見もあって
より利他的であるべきみたいな
そうして人はここまで生き残ってきたのだから
この道(利他で生きる)が正しいんだみたいな
なんかもやっとしたのは
進化の過程で、選択されるというか
まあ何かが残って他は捨てられる、みたいにして、
どうにか繋がってきた。みたいな話をずっとしてきてるわけだけど
たしかに、利他な感じでやってきた結果、ここまでつながったという事実があるとして
この先も利他で「しないといけない」という話ではないよなっていうか
いま利己な人が多くなってるとしたら
そうなってるのも必然があるというか
結果それでほろんだとしてもだよ
必然があってこうなってるんだろうみたいなそういうコトを思ってもやもや。
もしかしたらそれが残るかもしれんしな。
多様性ってそういうコトよねえ…
多様性を良しとするなら、こう「あるべき」みたいな話に持ってくのは矛盾に感じるよね
AIの話もなぜかしてたけど
(この先生の話はとっても常識的なので、よく聞かされる話というか、私にとってはあまり好きではない方向の話)
このままじゃ危ないですよ、みたいな話が(最後特に)多くて
辟易してしまった…。
全体的に
とても常識的な話ばかりだったので
生物の話としては面白いけど
見方が新しい何かではなく、そちらを期待してたのでちょっと残念だった話。
*
もともとこう
長く生きる。みたいな考えがあんま好きじゃなくってですね
(今はもうどうでもいいですが)
お話でも、そういうのを敵側に置いたのは
長く生きてそれで何なのみたいに思ってたからで
それより
生きた!って思える生き方のほうがいいんじゃねみたいなのがすごくあるので
老化抑制とか寿命を延ばす話はもういいですっていうか
そうやって長く生きるために利他であるべきみたいに言われると
疲れるために生き続けるのかみたいにうんざりする・・・
先生、長く健康に生きるのが大事みたいな考えみたいだけど
もうそういうのじゃなくて
短くても精神的に平和に生きることのほうが重要な気がする…って話。
そしてそれがすごく難しくなってるしもっとなりそうとか感じちゃってるのね。
なんでかしらんけど。
なんでかしらんけど
個人的には
より利他的になろう、なるべきとしている結果、正直これ以上は無理みたいになってるんじゃないかみたいに思ってるのね。感覚的に。
まあ個人差はあるでしょうよ 私はあんま得意じゃないのでそこが気になんるんだろう。
「人の気持ちを考えて」って
今の子は小さいころからそれをすごく言われてるし、私も子供にいう。
社会全体が、怒りを抑制することをすごく大事にしてて。
その流れに乗っておきながらあれだけど、
たぶん、無意識に、ちょっと無理してんじゃないかみたいな
身体をつかって怒りを表現することを止めよう、として
言葉でももちろん止めよう。
それから、相手の気持ちを考えよう。って
私が子供の時にはそこまでしてなかったことを、今の子供はもう周りの空気から「するのが当たり前」。
たしかに、そうすることってすごく大事というか、した方がいいんだというのは同意できる
けど
私が子供の時、そんなにできなかったし(そこまでしなくてよかったし)、
いまになってやっとできるようなことを
いまの子供は自然にやってたりする
すごく優しい。
でも、トレードオフってあるだろうと思うんですよ
たぶん、
じゃあもうやめよう、暴力も多少アリ。
・・・とか、できないと思う。捨ててきた過去には戻れないというか、「戻りたくない」と思う。
そしてだから
精神疾患みたいなものがすごく身近になっているのがそのせいだし、これからは今まで以上に身近になるんじゃないかみたいに思ってるとこがあるのね
大人になって、てか、なる過程で会得してきた人と
生まれたときからそうすべき環境にあった人たちでは
そりゃあ違うわ、と思うんだよね
だからそういうものを、新しい世代に強いてきたのは私たちだし
だからって、やめようということにはならないと思うし
そしたら
長生き、よりも、中身。
精神的に平和に生きるには、みたいなほうが、課題として大きくなるんじゃないかみたいに思う。
AIについて書いてた事にもいろいろ思ったけどそこはいいや前も書いたし(笑)
より良い「ひと」になるために
私たちは社会を変えて
その社会で生まれてきた子ははじめから影響を受ける
その「正しさ」の枠の中にあろうとして
でも、人ってそもそもいつも正しいわけではないから
かならずひずみがあって
その歪を、「正しい社会」は、おそらく許容できない。
そうしたら内側にとどめざるを得ないのかなっていう
歪の大きさもそれぞれだよね
合う、物が多ければそこまで感じないし
合わない、物が多いと、すごく感じる
もともとそうやってきたんだけど
いまは、かなり、「正しさ」が狭いので
ほとんどの人が、無意識に苦労して合わせてるんじゃないか
頑張らないとできないことをあたりまえにしているので
当たり前に頑張って、きついのに何のせいか分からなくて、歪んじゃうのじゃないか
みたいに感じてるんだよー
まあしらんけど
私もうかなり早い段階からけっこう無理wだったので
よくやるよなあ・・・とおもいつつ
そりゃこんなの続けてたらやばいわという気持ちです
しかし正しくありたいものですから
その「歪」をどうするか、という話になると思う
どうしますかね・・・・・・
むずかしいけどだいじそうだよね
生きてるうちはずっと直面し続けてるんだろうよな
意識されないことも多そうだけど