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ひとりごと

育児雑誌の記事のこととか

育児のことについて話題になってる記事
育児雑誌が発する〝有用であれ〟ホームレス差別発言から考える子育て
 いろいろおもうところが

 「人の役に立たなきゃ」みたいな焦り、たしかにすごいある
 ていうか焦るだけで役には立ってないんだけど、それを責める感じがぬぐえなくて
 おかしーなーとおもったりする(ええこともあると思ってますが)

記事にもあったように
 まさに「正しい形」が問われている時代
 個人個人の正解を求めることになっているので
 分かりやすい「型」がない。

でも
「躾」=「社会適応」である以上
 有用性も、
 親の思想や価値観として刷り込まれるのは仕方がない
 と、うちはおもってる
(社会そのものが「多数派の考え」で「正解が作られる」ものだから)

考えたことがあるよ
 こういう躾って、けっきょく社会性の刷り込みで
 子供個人の幸福感にはむしろ邪魔になるかもやんって。

 でもそういう、ある程度の価値観は教えておかないと
 本人が恥ずかしい思いをするよね。
 たとえ指をさされても、間違ってないという信念を持っていることなら、そうすればよいし(それだけの信念があれば貫けるだろうし、親の価値観なんか関係ないだろ)
 そうでないなら傷つくだけ。相手を不快にもするかも。

社会適応。それが躾なので
 その影響を完全に外すなんて理想論でしかない。ていうか有害ですらあると思う。

この記事のひとは、褒めることに疑問を持っていて
 もしいい褒め方ってのがあるならそれは聞きたいと思ったけど(書かれてなかった)
 「ほめることがよくない」という結論だけは、いやちょっと待てよと思う

 わたしはじぶんがあまりほめられてこなかったので
 子供を褒めることだけは意識してやってた
(意識しないと全然褒めないことになるので、ですよ)(意識してもほめ過ぎにならないくらい基本褒めるという感覚がない。褒めるとなんか削られる感あるし、演じてる感すごいしな) 
 無駄にわっしょい持ち上げたって子供のためにはならないけど
 良い所を見つけてあげるのも親の仕事だと思ってる

 なんでかっていうと。
 ……なんでかって言うと……
 …私が褒めてほしかったからじゃないかな。
 結局それだけで
 アドラー的には害なのかもね

 でもそれが唯一の正しさではないと思うし
 私は私がしたいほうにしかできんわ…
 こうしたら嬉しいと思うことをしない、その理由があまり確かでないと感じるし。
 有用性だって
 あったほうがいいと思うことあるもんな、私。

ビジネス書みたいな育児書が増えてるっていう。
 「なぜ僕らは働くのか」シリーズとかもう典型。
 納得いくことも多いし
 社会性を養うという意味では全く間違ってないけど
 それはものの半面というものではないかなって思う

 子育てに限らず
 漫画やお話でもほとんどそんな感じ。
 ビジネスっぽい話が多いよね。すごいなあと思うけどさ。 

 人生の(社会的)成功ではなくて
 人の幸福、という視点に立つと
 また別のやり方が見えると思うし

 まあどっちでもいいけど

ホームレスに対するあの言葉についても、
 どっちかってと
 何度も言うけど
 「努力しさえすれば」「誰でも同じように」「できるはずだ」という
 神話を、壊した方がいいんじゃないかと思う

 「努力したってできない」ことが、人によってたくさんある。
 障害とか名前付かなくたって。
 だったら自分のできないとこは補ってもらっていいし
 できるところは当然補おう、自分はできるんだから。
 そういう価値観になってもいいんじゃないかなあと思う

 できない人もいる、という観点がなさすぎというか
 名前を付けないと認められないのかっていうか
 またその「できない」が「努力不足」にすぐ結びつくのも
 弊害だよなあとか思ってるこの頃です

最近受験についてのまんが多いけどさ…うち受験生だよ!
 たしかに、やる気になるなら結果どうであれ意味はあるけど
 そもそもやる気になる形に持ってくのってかなり難しいし
 やって結果良かったからって「幸福」かってと疑問だし
 そういういみで
 「(いやいや)努力させる」「頑張らせる」ことの必要性とか是非みたいなのは常に考えざるを得ないよね…

 いみあんのかなとおもったり
 させないと後悔するかもと思ったりでね

***

 いろいろかいたけど
 この「有用感」に対する是非も
 「努力」に対するそれも、「奉仕」に対するそれも、「ほめること」に関しても
 どれも「正解」は無くて
 それぞれの組み合わせで、効果が異なるだけなのかもなという感じがしてきた

 「努力」は頑張れば誰でもできると思っていれば
 自分は努力をする、けど、できない人に厳しいかもしれない
 逆に「できない人はできない」と思っていれば
 自分もやらない、けど、できない人に対してきつく当たらないかもしれない。
 それぞれをやるのもやらないのも、いい面と悪い面が両方あるっぽいから
 個々で選んでいって
 そうして多様性が生まれる、と

 ここで「これでいいのか」って
 みんなに問うたからと言って、答えが一つ出されるものではないというか

 それぞれの出した答えに沿って生きていって、多様性になる。それでいいのかな。

 「中庸」って考え好きくないっていうか、理想高すぎだろwって思うほうwwww

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