こんにちはあやめです。げんきです!
なんかOヘンリのお話の解釈がみんなちがうっぽいことに気づいて
最近、他の人はどう受け取ってるのか、探して読むことをしてるんですけど
(それと、今になってやっと意味が分かるという体験もあったりして…あはは)
その中でも結構ややこしいなと思った『千ドル』。
この作品の、自分的な感想がまとまった気がするので、書いとこうかなと。
どういったお話かはこちらを↓おすすめしちゃう
https://islecape.exblog.jp/9704671/
とても読みやすく註もあり良い訳だと思ったので…。
さて
Oヘンリの短編と言えばどんでん返し、みたいなのは私もそれ!って思う。
けど、
心温まるストーリーって言われると、なんかちょっと違くね!?って思うのです、
いや他のひねくれて最後ひどい感じになるようなやつと比べたらそうなのでしょうけど(他読んでないからわかんないですw)
『賢者の贈り物』と『最後のひと葉』をとりあげて、だからハートウォーミングな話をかく人だよねって言われると、うわーってちゃぶ台返したくなるですよ。
どちらも、印象的には、かなり文章的にひねくれてると思うし、そういう「いい話」的に書きなおされたの見たらもう、ぜんぜん違うやん――て私は思う><
『賢者の贈り物』は、お互いに贈り物を無駄にし合った、という表現まであってむちゃそこちょっと笑っていいとこだと思うし(でも、彼らバカだけど、だけどこれが本当じゃない?ていう、そういうまとめだと思う)、
『最後のひと葉』は私も勘違いしてたけど、この葉っぱを描いた絵描きのおじいさん、いろいろダメ人間だからw ダメ人間(傑作かいてやるーと言いながら飲んだくれて数年間まともな作品を描かず…)、が、最後にいいことしちゃう(本物と見紛うほどの葉っぱの絵、その絵によって人の命を救ったのだからこれこそ傑作、みたいな…)、っていうのと、あとは、「あれじつは、絵なんだよ!!!」っていう面白さ、が入ってると思う…。
もちろん、二つとも、実際あったかいのだと思う。それは私も否定しないんだけど!
Oヘンリのこのちょっとひねくれた感じっていうか、ストレートに「いい人」なんて存在しない感じ、こそが、私は好きだなーって思ってて!
あ、前置き長い!すみません!
それで、
今回話題にしたい『千ドル』もですね、
これなんか特に、そんなハートウォーミングさなんか、あっても半分だと思うわけです。
もっとこう、おっかし―!ってなるところがメインなんじゃないかって。
でもちょっとややこしいですよね。
まずよくある感想で、
主人公のジリアン君がヘイデン嬢を「好きだった」という話。
そうかな~~~ってむちゃおもうw
たしかに、彼は彼女がお金に困らないようにしてあげましたよ、そして告白みたいなこともした。
でも、すっごく、「形だけ」感あふれてる。
(そしてふられ方もすごい簡単)
ここが、形だけ、であることは、私もどうしてかな?って引っかかってたんですけど、
上の訳をされた方が解説してるのを見ると、なるほどと思うところあり…。
読者へのけん制(この二人が結婚して、めでたしめでたし!ということにはならないからね~という宣言。みたいな…)ということですね、やりそうだなーと思いました…w
(何でやりそうと思うかっていうと、他の作品で、「この話では恋のあれこれを書くつもりはないから、そういうのを期待する読者はこの先は読まんでよろしい」みたいなことを書いてるのがあるw つまりそういう人なんやなってw)
Oヘンリは恋愛の話が多いという評も見ましたが、恋愛を描いているというより、人と人の滑稽な関わりって恋愛関連でよく出るじゃない?っていう視点からそうなってるかんじがします…個人的に。
おいといて。
また、これの解釈の一つとして、
ジリアン君は改心した!というのもあるんですが
これも、そうかな~~~~~??とおもうですw
結婚の意思が元々なかったにしろ、この先お金に困りそうな人にお金を渡したことは事実で、
ギャンブルに金を使いまくってきた彼がそんなことをするなんて、
恋愛か、改心か、しか、ない。ようには、確かに見えますよね。
えっでも、改心した、ようには見えないんですよね。私には!!
なんか、Oヘンリの描く登場人物がどういうものか。という印象の差で、ここは変わる感じがします。
ハートウォーミングな話をかく人だ、という印象で読んでいれば、そうとも読めるかもしれない。
でも、私は、最初に書いたとおり、そんな「いい話」を主題にはしてないと思って読んできてるのでw、たぶん、どこかにクスッと思えるところがあるはずだと思うわけですね。
私は考えてませんでしたが、他の人の感想を読むと、「莫大な財産を残して死んだ叔父は、ジリアン君に改心してほしかった」から、ああいう条件を出したんじゃないか、と。
なるほどそうなんでしょうね!
と、ここまで聞いてやっと、私にしっくりくる視点が出てきました。
この、叔父の意志を、果たす、ように見えて、その実まったく果たしてない、そんな物語だったんじゃないかなみたいな。
一見果たしてるように見えるけど。改心してるように見える。ギャンブルに金を使わないで、慈善的な事柄に金を使った。
確かにそう見える。けど、
ヘイデン嬢にお金をが渡るようにしたのは、
慈善的な気持ちからしたことではなく、まさに、ギャンブル精神からそうしたのだ、みたいなw
なにがギャンブル精神って、
つまり、「千ドル」という中途半端なお金(憧れの女性に贈り物するには少ないし、ギャンブルで使うにはなんか多い)を、最も価値あるものにする方法を考えたのかなって。
私はそういう考えがしっくりくるんですね。ゲーム脳です。w
何かの役に立つ、というより、この金がどこにわたるといいか。その金が、同じ金額で、もっとも「価値がある」とみなされるのはどういうところか。
それを考えた結果、が、ヘイデン嬢のところだったと思うんですよね。
これがあの 踊り子?のロッタ・ローリアの贈り物にされてたら(まあ、足りないんですけどw)、たくさんいるボーイフレンドからの貢物の一つ、という感じで、まあ適当に流されますよね。
賭け事だと一瞬で終わる。そのときだけ。儲かるやつを喜ばせるだけ(もし儲かっても、「千ドル」という金額の価値がそれによって上がった、のじゃないわけで)。浮浪者に渡そうとも思ったが、金の使い方が分からないだろうから無駄になりそう(って他の作品に書いてる)。
↑ここ、盲目の鉛筆売りが通帳見せるくだりもよく分からなかったので、あとからまた調べに回ったんですけどw、もしかしたら、千ドルは、ロッタ・ローリアには「少なすぎ」、御者は論外で(千ドルそのものの価値の話じゃないから)、この盲目の鉛筆売りには「多すぎ」た(通帳には千ドル以上貯金があって、使わず貯め続けてる感じ…)。その、「多すぎ」と「少なすぎ」を見たから、ちょうど価値がぴったりくる所を思いついたのかなって…。このあと急にハイデン嬢について出てきますもんね…。
ハイデン嬢なら、お金に困ってる(もしくはこの先困るだろうと分かる)ので、ありがたく受け取るだろう、みたいな。
同じ金額でも、相手によってその価値は変わるわけで。その価値が最も高いところに置いた、そういう満足感で、最後去ったんじゃないかなって。
彼は自分の中のギャンブル、てか、ゲームに勝ったんですよ!w
ハイスコア! しかも(使い道を書いた紙を破り去ったことで)さらにボーナスポイントon! うまい! これ以上のスコアは出ないだろう! ヤッタネ俺! 的な…。
ギャンブラーが慈善家に改心したのじゃなくて、彼はやっぱり本質がギャンブラーで、それが変わることはないんですよ!
…ていう解釈したら、面白いなあ。と思いました。まる。
えと、ひねくれ過ぎかもなのでちょっと訂正入れておきますが、
彼は改心はしなかったかもだけど、こういう形でギャンブル精神が人のためになることもあるかもね。とか、
結局人は、人の役に立てることで、満足感を得る生き物だから。気まぐれにこういう事も起こっちゃうかもね!?と
まあ、そういう感じかもしれないです。はい。
おじさんの裏をかいてやる。つもりだったのに、逆に望まれてた! そして自分の行為が無駄になる!ので、おじさんの思った通りってことでいいわー(ビリビリ)ってなった。とか…。
(最近、冒頭でミス・ヘイデンに好意がある様子⦅でもうまくいってない様子⦆がさらっと書かれてることに引っかかってまた考えたんですが、もしかしたら、好意を持ってる相手⦅でもうまくはいきそうにない相手⦆に対して、カッコつけるための道具として使ったのかも、て思ってきたよ…。黒い羊っていうくらい自分は好かれてないと自覚してるし、せめていいとこ見せとけみたいな)
ただむっちゃ改心するいい話ではないと思う、他の作品見ても!
そして、私は、だからこそ、Oヘンリが好きなんだと思ってますw。
人の人らしい様子が起こす意外な行動や結末。
意外!に思える、けど、考えてみれば「当然」かな、ってなる。
そこがイイな~って。
・・・まあ、いまのところは、です!はい!