家のチャイムの音が聞こえないことが多くなって。
同じ部屋にいる息子には聞こえるみたいなので
老化かなあ…としみじみ思ったり
老化はまあするものなので仕方ないとしても
チャイム聞こえないといろいろ困るので
音の…なんて言うんだろ 周波数?
聞こえる範囲に変えたりできないですかねー…。
あ、なんか売ってんのかな。今度調べてみる…。
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さてさて、
お野菜たくさんいただいたので
今日はモロヘイヤスープなんですよね。
鶏肉と玉ねぎとにんにくとモロヘイヤ
ねばねば繋がりでオクラも入れるでしょ
いろどりにトマトも入れるでしょ
いっぱいもらってるのでナスも入れて
しかもカレー粉も入れちゃうんで、夏野菜のカレー風味スープ(もったり)みたいになる。
煮込むのでほぼ茶色だし 見た目は問わない…。でもおいしいよ! 冷たいスープにするつもりだけど、食べるときはラー油でもかけたらまた良さそうとおもいます。ぐふふ
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先週はちょっと実家帰ってました
何年ぶりだろ? 3?5? 覚えてないけど…
ひさびさに父母や妹たちと話をしたですよ
話し相手がいるっていいねー。
語ったり語られたりするのは楽しいお。興味があればだけど。
しかーし、
父親がいくつか病気やってたようで(見た目ぜんぜんわからん)、
はじめの一つしか知らなかったの何なん私と思ったり(いやでも私がなったとしてもヤバくなるまでは伝えないわなー)
でも一番の衝撃は
もう亡くなった祖父が心臓の手術をしていたことについて
まったく記憶にないことですかね・・・
妹たちがきっぱり言ったので しかもみんなでお見舞いに行ったとか
そのときになんか私が父に怒られてひとりで帰ってるとか
マジで記憶にないんだけど・・・
あれ歩いてひとりで帰れるってことは今の家にいる時で
もう大学生じゃん
私何やった・・・?
まあ今でもクズ中のクズなので、過去はもっとひどかったに違いないんですが
とにかく記憶にない。
記憶にないと言えば
妹たちが、「お姉ちゃんがお父さんに怒られるのを見て、お父さんの前では逆らわないようにしてた」とか
二人して同じことを言う、ぐらい、私が父に怒られてた印象があるらしい。
私自身は、一度ひっぱたかれた記憶くらいしかないわけで(それも私がクズいせいだし、当時ですら納得できたやつ)。
妹たちは「何で父親がいるところで怒られるようなことを言う(する)んだろう」と思っていたらしいけど、
頭に血が上ってるときは恐ろしさとかを意識しませんよね。主張しかない。先のこととか考えてない、今しかないのよ。
まあでもたいした主張じゃなかったんだろうし、何が悪いか分からないまま同じことを繰り返していた可能性大…。
実際、父はそんなには怒ってないはずで(たぶん)、たまにあることが、たまだからすごい怖くて印象に残ってた可能性。
身体大きくて声も太いから、小さいときはすごいそれだけで怖かったんだと思う。なにもされてなくても。
そう思うと、お父さんってかわいそうだな…。(´;ω;`)
あとはなんか…
妹が高校生の時、どう見られるかを気にしてブランド物を買いあさっていたけど(それもよく知らんかった)
どう見られるか、ではなく、これがいい、という自分の好みとのバランスが取れてきた。と言っていて。
この子いろいろバランス取れてるなあと思ってたけど、これも(そういう、バランスの取れた人たちから)よく聞く話ですよね。
まず、
子供の頃「どう見られるかを気にして」いた、っていうのが
なんかちがうよなー・・・っていうか、
自分が「どう見られるか」を気にしなかった、わけではない。と、思う、けど
その質が、たぶん全然違ってたと思うのね。
「良く見られるため」に「自分を”そのように”つくる」ことを、考えたことが、一度もなかったと思う。
なんか、このあたりどうもズレを感じるなあと思っていたけど・・・
どっちかっていうと、その、
「人が求めるもの」それ自体を、認識できていなかった、が正解なんだろうと思うんだよね。最近。
「人が求めるものになろうとしない」って言うと、なんか芯があってカッコよさそうじゃん。
自分の場合そういうんじゃなくて、
求めているものがあるぞ、という認識、または、それがどういうものであるかを具体的に知る力が、無かったんだなって、最近思ってる。
「しない」ではなく「できない」。わからないからね。
ていうのはたぶん
周囲に興味を持ってない。視野が狭いというか。
周りの人が今どんなことをしているか、みたいな認識を持ちにくいし、
それ故に、それと自分がどう違っているか、ということを考えない。=差が分からない。
差が分からないので、不安にもならない。
なのでまあ、思春期にありがちな気持ちの不安定さみたいなのはなかったんですよね。
平穏だったです。
でも、ズレがあるな、という感じだけはしてて。
なんか、皆が分かってることが、どうも私にはわからない。という認識があって
それがなぜなのか、と、実に30年近く考え続けていて
今でもこうして考えます。
学生のときは、なんで学校で教えてくれないんだ、って思ってました。
大人になって、なんで親が教えてくれなかったんだ、って思いました。
でも、
誰に聞いても、そういうのは教わるものじゃないっていう。
自分で「分かる」ものだと。
親にもよく言われてましたけど「ふつうわかる」というやつね。
そんでいまは、
私自身に、そういうものに対する認識力の弱さがありそうだ、と感じています。
関心を持ちにくい。
人に興味がないと言われたことがあるけど、興味がないっていうか、そんなに広くカバーできない、が正解と思う。
「興味ない」って突き放してるような表現だけど、
そこにあると分かっていて避けている、のではなく、ある、という認識すらいちいち持ってないというか。
関心とは、ライトを当てて見えるものに対して生じるもの、と仮定すると
私のライトはスポットライト的で、自分の周りしか照らしてない(その外は光が当たらないので見えてない)かんじで
ふつうはもうちょっと、部屋の明かり程度にまわりも照らしているんだと思うし
(そしてすごくできる人は、もっと広く遠くまで照らされてる感じなんだろうなあ~)
だから周りのことが勝手に入ってきて、気にならざるを得なくて…ってなるんだと思う
疲れて大変と思う
私は疲れなかった
だけどなので全然わからんことがたくさんある
ふつう見える範囲が見えていなかったせいだと思う
なん十年も積み重なるとその差はすごいだろうし
それを考えるとどうやったって普通には追いつけそうにないし何やっても無駄な気がしてくるw
私は、周りなんか関係ない!と強く生きていたんじゃなくて、
周りがそもそもほとんど見えてなかったので、考えることが少なかったんだと思う…。
まあ言っても病気とか名前がつくほど極端ではないだろうけど
そういうものの程度が人によって違うのだとしたら
私は平均よりそれが弱い。ライトの照らす範囲が狭い。
のだと、今は解釈してる。
ひとの気持ちが分からない、もよく言われて
振り返ると確かにその通りと思うことが多いですが
同じ根から出てるような気がしてるんですよ
ほとんどのところまではついていけてるのに、急に分からなくなるところ
自分でも不思議。
いやまあクズなんですけど単に なおすきもないし なおせるきもしないw
周りの人が、どうして「分かる」のか、とずっと思ってました。
ほとんどの人が分かる以上、自分が劣っているのは明らかなので
何かあるんだろう、と思ってました。
まあたいしたことないし、あっても名前もつかないような程度に違いない
でも私には確かにあると感じるなにかを
まるで勘違いや思い込みであるかのように軽視されるのは・・・
いやでもやっぱ勘違いとか思い込みかもしれない。
みんなが正しいのかもしれない。
私が間違ってるのかもしれない。
最終的にはやっぱりそうなのかもしれない。
youmayberight,Imaybecrasy..!!!!!!!!!!!!!!!!!