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ひとりごと

しんわのかいしゃくー

うぐぐぐ…ぜんぜん間違ってたしこの先どう気を付けるべきかの見当もつかん…
 天の牛この先やれる気がしない…。新エジ語やっぱ無理かも…みたいな。
 いややっと現実を見たか、という感じですか。

 おいといて(置いとくのかよ!)

 松村一男氏の神話学入門(文庫)を読んでます
 これ、これです。こういうのを見たかったんです。
 神話というもののとらえ方。とりあえずどういう流れで神話ってとらえられてきたのかっていう。

 中身はものすごく丁寧で、18世紀以降とそんな全部見てるわけでもないのに、歴史的背景までしっかり説明してくれるのすごい。言語学に絡んでて、正直難しいけど…。
 でも、理由がある説明っていいよね。
 キリスト教が根にあって、そのせいで思い違いをしがちだった。というのはエジ学の本見ても分かったんだけど、思ってたほど単純じゃなかったというか。

 キリスト教が根にあるから間違う、なら、キリスト教じゃないところから見れば見やすいのじゃないか。そんな風に感じたりするじゃないですか。
 でも、よく読むと、「反キリスト教的」な考えが根にあったために、インドの神話を持ち上げたり(なぜならそもそも言語学的にインドとヨーロッパは根が近いっぽいため。本当の源はインド神話だみたいな流れがあったっぽい)、そういう方向の間違え方もあって。

 もう昔の話で、今はそんなことなくて、滑稽に見えるかも…と説明があるんだけど、
 あれ。私今でも、そういう間違えを(私自身が)しそう。とか、思えてくる。

 なぜエジプト神話なのかって言うと、
 間違いなく、反西洋的な感じ、つまり、よく知ってるギリシャ神話とかああいうの「とは違う何かである」ことに魅力を感じてるってのがあると思うの。
 (まあ実際には、より分かりやすい思想がそこにあって、別に「反」してるわけでもないわって、気づいたりしますけどね…)
 そしたら、過去間違った人たちみたいに、
 そこに自分の理想を見て、そのように解釈を曲げがちなのじゃないか。
 いまの私がそうではないのかみたいな気持ちになってきたよ。

 いや実際そうだと思う。
 気を付けたくてもできるかどうか。悲しいけどあまり思慮深くないので。
 それにどんなにフェアに見ようとしたって必ず何かに寄っているのが人間。科学的といったって寄ればどこも「中立」にはならないじゃないっすか。思想みたいなものは特にそう。
 だからある程度はまあしゃあないんだけどー。

 過去の流れを知るのは
 そういう間違い(間違った見方)を無意識にまた繰り返さないように。なんだけど
 流れを知っても難しいかもなあとか、なんか身に染みておもってきた…w

**

 松村氏の本を読んでてなんとなくしっくり来たのは
 神話はやっぱりそれぞれの文化を背景にしてできるので、
 その目的が違えば形が変わる。描かれている内容も言いたいことも違う。
 だから、一般に「神話」と言って示されるのは、
「それが語られた時代よりずっと昔の、本当にあったかどうかわからないような時代を舞台に、何かの起源が語られ、それが神聖視されていた(いる)」、みたいな(エリアーデの)説くらいが適当で、
 それ以上は、それぞれの背景を見ることでしか理解できないし
 そのまま比べるのは無理、かなって事でした。

 うん、だから
 それがイデオロギー的なものであれば、社会の階層化とかそういうものの影響を受けないわけがないことと、
 その目的によって主題が変わるので
 同じように、人ならざる超人的な存在(神)が動いて、何かの始まりになった、というお話であっても、
 現象を説明するために自然を擬人化したものなのか、
 現象よりも登場人物(偉大な先祖的な)がそこに関わることが大事なのか、
 人の心の動きに焦点を当てるためで現象は二の次なのか、
(思いつくまま挙げたw)
それだけでも全然見るべきものが変わってくるだろうなとかそういうやつです。

 物語としての比較も
 まったく無意味だとは言わないながらも
 物語が神話の中でどういう意図でされてるかによって
 神話としてそれが解釈の上で重要かそうでないかまで変わってくるというか。
 聞き手に印象付けるために「よくある物語」的にしたのか、その物語の流れそのものが何かを意味するのか、が変わるわけで。
 エジプトでは前者だろうと感じることについて後者の解釈をされたりしてたので、前の本ではもやっとしたよなって話ですよ。

**

で、今なんとなく思ってるのが
 古代エジプトの「神話」として扱われているものは

 ①ピラミッドテキストやコフィンテキストの中に見られる神々のエピソード
 ②チェスタービーティー・パピルスの「ホルスとセト」
 ③二人兄弟の物語(アンプとバタは神の名前であり、物語のテーマのオシリス再生の神話を含むと考えれば)

みたいなのがあって、
 上から、難解(権威的)で宗教的>>>娯楽的なお話(民話)
みたいな感じで差があるのかなみたいな、
 古代エジプトの物語って神様が絡みがちなので、神様が絡めばなんでも神話だとしてしまうなら、少なくとも三段階にはわかれるぞーみたいに思えてきてる。

 天の牛の書はそういう意味で言うと、①と②の間にある感じで、
 つまりひとつのエピソードを物語っぽく語りながら、最終的に細かい思想を描写してるようなやつかなって言う。たぶん。
 そういうのって地域ごととか各神殿で成立した、その地の主である神が世界の構築や王権に関わる「大神話」にどう関係しているかの説明みたいなものと、同時に、地域的な神聖さの起源や儀式・祭礼の説明を含んであったりしてそうで。
 ホルスとセトのやつは、そういう地域のエピソードをあちこちからもってきて切り貼りしたやつっぽい感じするですよね。たぶん。
 きちんと読めてないけど後代の地方神話文書ジュミラック・パピルスも天の牛と近いっていうか、まさにあの地域の主神をオシリスとして語ったり、セトとの争いを語りながら近隣の聖地の由来を説明したりとか感じっぽい。たぶん。

 そしたら遠方の神話とかも…同じとこ入るかな。

 そしてプルタルコスが伝えた話が、実際当時エジプト人から聞いた通りなら、それは「二人兄弟」(つまり、民話)寄りだよなっていう。
 それが一般民衆の「神話」観だったのかなっていうか。
 立場によって、神話とは何か、が変わる感じもありそう。

 そうすると
 多文化比較で「神話」とただ言うとき
 エジプトではどれを指すことになるのだろう?みたいな疑問があるような。

 この本の解説から言えば
 それは研究者の好みで変わります、ということかもしれず
 そうすると私はあんま興味ないかもみたいになってくるかもしれない……。

 ちなみにエジ学でエジ神について海外の有名な本を開いたら、たいてい宗教学が根にあるみたいですよ。
 そっちも確かに無視できないよね
 その場合民話的なものはほぼ触れませんので。
 視点が全然違ってしまうよねえ。

 私が学びたい「神話」はいったい何なんだろう。
 それ自体が曖昧だよwww
 エピソードそのものと、その表現の仕方、かもしれない。
 あまり深い、宗教とかまでは私には難しいかも(あと自分自身の関心が向かないかも)。
 神々の性質というのも気にはなるけど
 それはちょっとぼんやりし過ぎな気もするしね…。
 キャラクターとしてとらえるのは間違ってる、と今は思うし。この神はこういう神、というには、いろいろ重なってることが多すぎると思う。どの視点から見るか、の具体例を列挙するしかないのではないだろうか。
 そういうの楽しそうだけどする意味がよくわからん。w あとむちゃくちゃ調べんと無理w

 て今思ってることをメモしながら
 まだ読むべきものたくさん読まないとなので読みながら考え変わるかもねー。うん。



 むっちゃ自分のことだけど。
 私は英雄譚に興味が持てないんですが
 英雄譚つったらまあドラクエとかRPGの下敷きになってる感じあるじゃないですか。
 ゲームはいいのよ、でもお話として楽しんだことがない感じがしてきて
 ああわたし戦って勝利するアニメ見てたけど「このキャラが好き!」しかないじゃん、元々そんなんばっかじゃん…みたいな。
 なんかこう
 冒険する話。戦って勝つ話。みたいなのがしっくりこないのは
 そういう人生を歩んでないせいなのかなとか思ってきたりしてw
 どこかに出て行って経験しようとしないし、特に大変な目に遭ってないし、なので乗り越えたためしもないし。
 そもそも頑張らないし。何かになりたいとか言って求めていくこともほとんどなく
(まあそれはたいていそうとおもうけど)
 どっちかってと自分の頭の中のほうにしか関心がなかったというか。
 外に広がらないというか…。
 誰かと接して成長していく私、みたいな相互関係よりも
 一方的に想ったり考えるだけで完結してる感
 自分の中の宇宙を描き出す方が楽しくて
 それが、ひとつの文化に閉じて世界観を説明する神話への興味に行くのかなみたいな?

 ぼんやり、そんなことをかんがえてみた・・・

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