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ひとりごと

どうにか読んでるw

本をまた読みだしてます
 『人はなぜ神を創りだすのか』おもしろいです

 またあの ギフォード講義のやつだった。
(この系統のやつ探せばハズレがないのでは?とか思ってしまったり)
 でもすっごく神話寄りで、そりゃ「神話学入門」で紹介されてたから当然なんだけど、思った以上。
 神話の心理学的アプローチって何だろうと思ってたけど、こういうことなのかな??
(ご専門はギリシャ神話だそう)
 儀式の話が中心で、ギリシャってこんなにいろんな儀式があるんだー
 っていうか、
 人間って儀式を「せずにはいられない動物」なのか、みたいな感想を持つ。
 そういえば古代エジプトの儀式ってよく知らないなあ・・・。
 もっと知りたくなりました。

 本はもうちょっとで読み終えるので、終わったらまとめたい。
 とにかくはじめの30pほどが、何を言いたいのか分からなくて入り込めなかった。
 だんだん何が言いたいか分かってきたよ。
 そうすると、今まで考えたことのない説明が多くて、引き込まれてしまった。
 ちょっと私には難しいので、私なりにこういうことかな?と思うことがたまにある、程度になってるけど……。

 中公新書の『オリエントの神々』を途中まで読んでて挫折したんだけど
 あれと同じ色をしているというか
 ギリシャと聖書に、たまにオリエント周辺混ぜておけばたいていの人に通じるのか、とか
 その「オリエント」の中には、なぜか古代エジプトはほとんど含まれていないらしいとか
 そういう感じがこの本もしてます。

 世界の中心はキリスト教と、それ以前にそこにあったギリシャ神話で
 その源にあった「原始的な宗教」が古代のオリエント。
 そして、それに古代エジプトは含まれない。
 特に、物語や何かの行為についてとなると、
 そのあたりはざっと似たような証拠が出るけど
 古代エジプトには無さそうなの。

 もやっとしますよね、古代エジプトのほうの視点で見ると。

 だからっていうか、
 神話学や神話としてありがちな内容、という視点を神話学は求めるけど、
 それが「古代エジプトにとって」どうか、という視点の本がむちゃくちゃ読んでみたいなと思う。あるのか?????
 みんなキリスト教とギリシャあたりしか興味ないんじゃないの?って思ってきて、ちょっと残念。

 古代エジプトについてやっとなんか書いてると思ったら
 「日照りの人格化である怪物テュポン」を退治する神話、みたいに言いだして
 テュポンはギリシャ読みだろうっていうか誰のこと???ってしばらく考えてしまった……。
(セトです)
 いやセトが日照りの人格化なわけがあるかい。
 まず第一に、セト神は何かの象徴(人格化)である前に部族神だと言えるはずだし
 なにより、日照り、みたいな感じじゃないぞ…嵐ではあろうけど。嵐、しかも砂嵐だったら、日照りの逆、日を遮るものだよね。
 ていうか太陽神万歳な文明なのに、日照りを太陽神の敵対者にするわけもないと思う…。
(セトは太陽神の敵対者じゃないとか言い出したらキリないけど)(そこは文脈読んで、ホルスの敵役なのでセトでいいんだが…なぜ日照り? ホルスは太陽をも象徴したろうのに)
 そしておそらく、日照りのようなものを表現するなら、ラーの眼の女神たちではないだろうか。テフヌトを筆頭としたライオンの女神だ。バステトセクメト(ハトホルも?)どれでもありうる。

 うーん
 イメージで語ってるのかなあ
 ほんとうに眼中にないんだなエジプト……って思った。

 まあそこはおいといて
 儀式の話は面白いです。
 不幸が降りかかったときに「指を切り取る」みたいなことをしがちなのは、世界中どこでも見られるという説明があって
 それってそれだけ見ると確かに「意味不明」だけど
 そういう「感覚」ってすごくわかるなっていうか。

 まあこの続きはまた今度、まとめてします。長くなりそう

***

 にゃんこのこと。

 一週間が過ぎたんですが
 なんかもっと長い時間が過ぎたように感じるです
 にゃんこが死ぬ前日に、お風呂に入れてしまったことをずっと後悔してて
 ほんとありえないんですが(そんな弱ってると思ってなくて)
 もし、入れてなかったら、それだけでもう12時間は生きられたかもしれない、
 12時間あれば、大学病院に行けてたし
 そうしたら対処ができて、持ち直したかもしれないのに、って
 もう本当に申し訳ない。
 申し訳ないって、命のことなのに
 本当馬鹿っていうか、馬鹿では済まないというか…。

 お風呂から出て拭いてるとき、ふつうにゃんこって風呂から出るとすごい自分の毛を舐めるんですが、あまりしなくて。
 それだけ元気がなかったって事なのに
 気づかないなんて、いったい何を見て生きてるのかと

 悲しい気持ちになったりすると
 同じような人、エピソードを見て慰められたくて
 私だけじゃないんだって思いたくて、ブログとか巡るんですが
 危なかったけど持ち直した、みたいな話が思いのほか多く
 飼い主なら変化に気づけるとか
 そういう、励ましの言葉が、逆にすごくきつくて
 気づくべきところを気づけなかったんだみたいになって辛いですね。

 でも私自分を責めたくない人間なので
 にゃんこがここにきてきっと少しは幸せだったと思いたくて
 少しは良かったことを思い出すんですよ
 あれだけすごい噛んでたのが全然噛まなくなったのは、家族として認めてくれたからだとか
 よく顔をぺろぺろしてくれたんだし、それは親愛の印だろうとか
 最後看取れただけでもよかったじゃないかとか

 と自分を励ましてもすぐ反論が浮かんじゃって困りますね

 まあでも本が読めるくらいには戻ったですよ。

 よく言われる「虹の橋」のたもとで待ってくれてるとうれしいなあと思います。


**

 しかしあれ
 本を読むの相変わらず苦痛なんだなーっていうか
 基本、だから、興味ある事柄が書かれていないと、読むという苦痛の対価にならないというか。
 なるほどーってすごい思うことか、すっごくわかる!!!と思うことか。
 お話については後者が一番癒しになるので、好みますけど
 ちょっとしたほっこりする話なんかはむしろ、読む苦痛が上回るので読みたくないみたいで。
 そういうのを楽しめるっていうのは、もう、読むことが苦痛ではない人なんだろうなあと(あったりまえだろ)。
 特に気持ちが重たい時は、ふわっと優しく、みたいなのは逆に抵抗ありますね。
 いまなら、にゃんこが死んじゃう話なんかちょうどいいかもしれないです。
 長寿にゃんこを看取る話じゃなくて、突然若いにゃんこが亡くなって、しかも自分になにかよくない覚えがあるのとかすごい癒されます。
 自分の痛みを知ってくれてる、と思うのは最高の癒しじゃないですか。
 なので、中島敦の弟子がすごく好きなんですよねえ。

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