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ひとりごと

無題

国語力崩壊の惨状 

(ここで挙げられてる『ごんぎつね』の鍋の中の話は、そもそも現代は葬式を自分ちでやることが少ないので「料理をふるまう」は「そういうもの」という知識を先につけないでは出てこない発想だろうということと、他の人の指摘の通り昔話のイメージとして『カチカチ山』とかに引きずられてそうで、それだけでこんなに大騒ぎする大人の方の想像力が問題にされそう…)

↑国語力がないので
 国語力云々言ってるのは聞きたくないかな
 本を読んでいればよかったは耳タコだし 実際そうかもと思うことはある けど
 今は読むのが苦痛だし 過去の私が頑張っていれば今読めたのかというのも疑問
 読んでいたところでヒトの気持ちが理解できてたかというのも疑問
 子供をおもうなら家庭ですべきというのはもっともだけど
 私自身ができないので教えられない
 いまさらできる気がしないし。

 家庭ですべきだったのなら
 私が家庭でされなかったということなのか(たしかにそんな、言葉の意味の躾はされなかったが……親のほうがそもそも言葉をあまり使いたがらないひとだからな)
 だからってできてそうな人の家庭でそういう躾がされていたか疑問
 できる人は、そんなことわざわざされなくても、というだろう。
 そしたら
 うまれつきじゃないのか

 ひとの気持ちを大事にしたいと思えるような人に生まれついたとか
 自分の感情をうまく分析できるように生まれついたとか
 そうでなかったらなんなんだ
 環境のおかげというなら、親が優秀だったとしか思えない
 そんなのどれも、当たり前に持ってる事じゃないのでは?
 自分で努力して身に着けたという人がいるのなら
 どんな努力をしたのか知りたい
 なぜそんな努力ができたのかも知りたい
 ふつうはまず、しなきゃいけないと思うわけではないと思うし、しなきゃと思ったところでおそらくできないからだ。

 私が育ってきたころ
 親の影響というより社会の(テレビとかの)影響で
 そうでなければ私自身の傾向で
 理屈のほうが大事だった(うまくできてるかどうかはおいといて、そちらに価値を置いていた)
 理屈をうまく通せるかで評価が決まった感があったと思う
 理屈で考えるのを大事にすると
 心情で考えることを下に見ることが多い
 迷信に従わないとかがそれだ。
 代わりに、感覚でなんとなくそうかもって思うことにも、疑問を持つことが出てくるので
 相手の感情を勝手に取り入れてこちらで解釈しないかも
 逆にいうと
 そういうことにそもそも長けてないとかあまり興味を持てなかったので
 そっちが成長していない、という感じだったのではと思う

 もって生まれた傾向、そして、社会の傾向に影響を受けているなと。

 国語力が乏しい、と騒ぎ立てる人がすきじゃないのは
 環境の問題だとして自分ではどうにもならないからだし
 自分の問題だとしたらなおさらどうにもならないから

 人って差があるなあ。とつねづねおもうところだけども
 その差がまるでないもののように語られるのはふしぎ
 持ってる人はそれが当たり前なので、持たないのが「おかしい」と見えるようす
 でも持ってない人間から言うと、どうやったら「持てる」のか、と思う。
 なにを、どうやってすごくがんばったのか。
 なぜ、頑張ろうと思ったのか。

 がんばってそうなったのか・・・? ほんとうに・・・?

 頑張って理解できるようになったのなら、それだけ、そうなるのは簡単じゃないので「ふつう」はできない。し、
 頑張ってないなら、やっぱ生まれつき傾向に差があるよね。

 こういう論調って、「昔はそうでなかった」という言い方するけど
 本当かなあ。と思う
 昔は、そもそも、そんなに大変ではなかったのでは。
 言葉の乱れ、みたいなのが原因だとは、私はあんまり思わないかな…。
 そんな複雑な言葉と感情の差を、理解できなければ、生きるのが難しい、
 それだけ複雑な世の中になっているから、
 理解の差が生きやすさの差につながる、ことが、見えてきたってだけなんじゃないのかな。

 昔のようにはいかない、という前提を省いて、批判だけされてもね。
 子供たちも複雑な社会を生きようと精いっぱいなんだよね
 うちらの時より大変そうだもん
 そこへ、うちらみたいに、そういうことを鍛えないでも生きられたのが、親となって
 教えられるわけないし。

 よのなかこうやって
 親となるのに必要なスキルがものすごいある様子で
 そのスキルがある人だけが親になればいいんだろうなって思うし
 私はないのでダメだし、ダメだから叩かれるし
 これで少子化たいへん、子供を作れ!ってアホなのかなって思うし
 金の問題だけで解決するわけないだろっておもう

 すごい要求されるけど
 もう親のほうが無理なんだし
 そもそもそんな時間的余裕どこ?
 精神的にも余裕ぜんぜんないのに。そもそもそれが一番大きいのにそれについては考えられてないの。
 こうしないと子供が大変なことに、という脅迫めいた論調ばかりで
 ハードル高いし
  実際それをまじめに求める気なら
 子供を「産む資格がある」大人、なんてひとにぎりなので
 少子化になるのは当たり前すぎて、何騒いでるのか分からん。

 子供全体にその傾向があるとき
 それを「家庭」の責任にするのやめませんか
 完全に社会の問題だし
 家庭がそのように子をしつけているのだとしたら
 そうさせているのは社会の空気です。

 家庭を作る親自身にこれだけ差があるのに
 家庭で努力すれば、ってする論調おかしくない?
 なにみてるんだろうっておもう、そんなのできるの余裕ある家庭だけだし
 そんな余裕あったらそもそもこんなこと問題にならんだろ

 こんなんいわれても
 その通り、どうにかしなきゃって思う人は、きっとできてるし
 できてない人は、無気力にしかならんわ

 親になるメリットって何ですかね。
 どうして子供産もうという気になれる?
 何も考えてない人が何も考えずにこうやって生んで親になり
 よく考える人がよく考えて親になることを諦め
 そうやってできた少子化で
 子供のレベルが下がってるとか言われても。

 できる大人だけが子供を産める仕組みでも作ったら?

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