自分の分身を作って、それを自分であるように思うこと。
プロメテウス効果って言うのか。
(あ、なんかちょっと違うな。それを自分と思って「行動に影響が出ること」を言うっぽい)
アバターとか(みたいな言い方を今もするのか分からん)
は、よくわかんないん、だけど、
声が自分の声なら、というよりも、
「それが私だと私がおもえば、私なんだ」っていうのは
考えたことがあるなあと思って。
そういう理屈で言えば
たしかに、それが実際自分の身体じゃなくても
化粧や着飾りで作り出したものでも
性別だって違っても
私が私だと思いさえすれば、もう私なんだなあ…
そういうことかあ……と、ちょっとだけ思った。
化粧とか着飾って、それを「私」だとするのが、私は好きじゃないのだけど、
それは、私の思う「私」がそういうのじゃないからで、
そういうのを「私」だと思う人は、逆にそれをしないと「私」じゃないんだなあ
ちょっとだけ分かったような気がする…。いやすぐ忘れるけど。
化粧はすべきだ、みたいに言う人が理解できなくて
それは、私がそういうのを「したくない」から、で
むこうはそれを「したい」からで、いつも喧嘩にしかならないんだけど
どっちの自分をより自分らしいと感じているか、が、違うだけなんだね…。
(化粧とか着飾りは、うまくできるなら、変身の楽しさみたいなのはあるけど、「私」ではないなあと思う。そういうのもみんなそれぞれ違うんだろうなあ)
いや化粧すべき、ってのはあれか
「きちんとして見せるべき」とかそういう
箸の持ち方に近いやつかも。身だしなみ的な。
私これもしっくりきにくい人間なので><
箸の持ち方、だいぶしつけられた覚えあるんだけど、抵抗してたので
「私」が、そういう「形」を受け入れらなかったんだよなあ。
ていうか、たぶん、うまくできないので、いやになったんだと思う。
うまくできないという私はそれだけで否定されるので。なんでそんなことで否定されないといけないの、みたいな感じがあって。
いまそれで馬鹿にされたりするわけだけど、後悔はないというか、
無理だったし、今も無理。なので。
これが「私」なんだよなあ。とよく思う。
いつもおもうんだよな
「抵抗なく受け入れられる」ってすごく羨ましいなって。
箸についても
正しくもつべき、ってこれだけの人が感じてるってことは、
それだけの人が、このことについて抵抗を持つことがなかった、ということなんだと思うし
そうでなければ、抵抗を持たなくて済んだ=言われたらちゃんとできた。ということなんだろうな。
私も、言われてできることについては抵抗を持たないもん。これはマジでそう思う。
できないことを指摘される苦痛が大きめに感じる人間っていると思う。思い当たるでしょ?
私はそういう方だったなあと思うw
ていうか
できないことを指摘されて、よしできるようになろう!って思う人がどれだけいるんだろうって…。
人間の格が違うね! すごいよ!
*
読んだやつの話
つぎはイアフのことについてのやつを読んだよ
このまま月繋がりで行くからね。
イアフとトトとコンスの違いが分からん。とか言ってたけど
とりあえず、イアフとトトのことについてはこれに書いてあった
(でもコンスについては一切触れてない不思議…)(コンスとイアフには接点がないんだろうか??)
比較ではなく、イアフ・月の神というものについての研究みたいだったので
差異とかはよく分かんなかったんだけど
イアフとトトは19王朝くらいに習合してるんだね
それまであんま関係なかったのに、って。
関係なかったの!?
とりあえず宗教文献ひも解いてみて
イアフがどういう文脈で出るかと言ったら
ほぼ、死者との同一視だ、と。
まあ月は夜にある太陽の代理だし、力強い神聖なものというイメージは古王国からある様子で
あとは時間(月日)を区切ること。かな。
コフィンテキストあたりからは、明確に、その欠けから満ちへのサイクルが、死者の再生と結び付けられてるし(たぶん古王国でももちろんそのイメージはあったんだろうなあ)。
そして、月のお祭りがあって。
それはぜんぶ、死者の供養の関係するんだって。
たしかに、古王国から第一中間期あたりの偽扉とか見てると
星の上に月がかかってるやつ(月の第二日目の祭で初めて月が見える日)、その月が半分欠けてるやつ(月の半ば、15日ごろにある祭で、これが満月の祭だった)、と同じく満月にするらしいウワグ祭とか(のちに月の形に関わらず日にち決めてやってたらしい)、よく書いてあった。
死者に供物を捧げる日が、月にこんだけあるんかい。少なくとも古王国には。
月の形で死者に捧げものする日が決まるとか
月と死者の関わりって思った以上だな、と思いました。
えー
トトはいつから月と関係してたんでしょうね??
でもトトの月の関係のしかたって死者って感じじゃなくないです?
しかもトトの「月」って、欠けから満ちに至る、輝き増すあたりから≒牡牛って言われる、そういうイメージとも違う気がしますよね。どっちかってと弱い感じでは? いや強いとこもありそうかもだけど…
コンスはどうかな。コンスもうちょっと、夜とか霊とか運命とか、漠然としてるイメージあるですけど。実際よくわかんないんですよね。どこかまとめてるの読みたいな。
そうすると、
ミンと月のやつで書いてたのと、このイアフについて書いてたのとで
日々(輝き)強くなる牡牛と、去勢され(光が)弱っていく牡牛、というイメージで一番しっくりくるのは、ホルスじゃないか、とか思っちゃいました。
こうやってイアフについてまとめてるのを見ても
イアフってやっぱ、アテン的に、天体のイメージのが強くて、
名前も、トトに比べて少ないし、女性ばっか目立つらしいですが
トトを遠回しに表現してるとか、あまり個のある神というイメージで語られてない可能性ないのかなーとか思ったんですが。
そうやってぼやっとした感想を持って次を読むです
そんな簡単には分からんw
あーなんか読んだらもっとこういうの知りたいって思うやつだったな―
これとか前に描いたのとか、エジブログのほうに書くべきなのかも。でもただの感想だけど。
自分で、前にどう思ってたのかとか見返すのにまとめときたいんだよね。忘れるから。
そうミンと月のやつね
レピト女神がここ(アトリビス)では太陽になる、シリウスではなくて、っていうの、
たぶん、神殿の門に、どちらも「目」である、と書かれているせいかなと思ったりした
対に置くことで、それが「両眼」になる、のだとしたら
たしかに、太陽と月を表していると考えちゃうよねえ……
と、もう一度ザッと読んでおもった話。
次はコフィンテキストの月の書のやつ読むね。