10月になりました。
今年は9月も、暦通り秋になったと思ったら夏に逆戻りとかしてましたが
10月も続いてますね。体調管理が大変です。特に猫の。
きんもくせいも、香ってたと思ったら消え、ということがこれで二度。もう香らないんでしょうかね。
自分は相変わらず
にゃんこと遊んだり、寝てるにゃんこ吸ったり、すりすりしたり、一緒に寝たり♥して日々過ごしています。
特別したいことがない。
この頃ずっと。いや平和ってことなのでありがたいけど。
推し活されてる方を見ると、なんてステキなんだろって。何歳でも、っていうか年齢が上がるほど、その「ステキさ」が際立つように感じる。けれど
求めれば得られるものでもなく。気力の老いもあるからしょうがない。
(とはいえ、分かりませんからね! 機があればつかみたいよね!!)
今またちょろっとエジプトやってますけども。
思想がすき。とかいってて
でも結局は「神話」(物語)に寄りがちな自分だなあと思う。
思想、と言うと、物語じゃないし、
神話、とあっても、ストーリーではなくエピソードのことが多いけど、
エピソードで十分。ストーリーで覆っていない方が、むしろ意味が見つけやすいのかもしれない、と思ったり。
(結局その、「表現の仕方」まで含めて、好きだったりするのでなあ)
やっぱり
今科学的に仕組みが理解されてる自然の現象を、どう解釈して「物語」したか、っていうのは、たのしいなあとおもうですよ。
その「理由」が、神話に描かれてる展開の根拠が、分かる。見えないものが浮き出てくる、みたいな感じが、楽しいんだなあと思う。
(物語にする、ことには、確実に思惑が絡むから、そこまで事情が透けて見えるとなお楽しいだろうなあ……)
ただ、特に月の満ち欠けや日食なんかを「月の書」とかで見てると、仕組みをもう知ってしまってるので、ついそっちよりに読み取ろうとしてしまったり、そのせいで余計に意味不明になってる気がするんですよね。
たとえば、アポピスが「何か」が最近気になってるんですが、日食を生じる影、ということは「月」なのか、とか、思っちゃうもん(でもおかしいんだよねそうするとw だから・・・、彼は山の上にいる蛇だし、ぬっと現れた、せいで、太陽が覆われる⦅ほど巨大である⦆くらいなのかなあ…とかおもったりしてるこの頃)。
はじめはイミイウヘムエフ(彼の炎の中にあるもの)であったこの蛇、はじめからラーといがみ合っていたようだけど(なんでだろ、「東の、日の出の山バアクウ」にいる蛇、だから、ヘリオポリス⦅日が昇る場所だったのかな⦆の主権争いした、みたいな感じなのかな)、どんどん悪の権化みたいにされるし…えっ元々?どうかなあ・・・?そのへんも気になる。
そう言えばどこかで、アポピスはセトの敵対者、だからホルスの味方かと思うのだが…みたいなこと書いてあったけど、セトの敵対者というよりラーの、なので、セトの敵になってもホルスの仲間にはなり得ないとおもう・・・。あとアポピスが飲み込んで吐きだす、という記述は本当にあるのだろうか?後代かな? あったとして、後代には悪の象徴のように扱われていたアポピスが、再生と結び付けられることなんて、あるだろうか? それってアムドゥアト第12時の再生の大ヘビ「神々の生命アンクネチェルウ」なのでは??などといろいろソースが気になりました。みんなどこから仕入れるの???ソース確認したい。
最近また遠方の女神をかじりましたけど。ああいう、後代のものになると、これまでの思想を「ひっくるめて」「さらに新しくプラス!」みたいになってるので、元の姿や目的が覆われてる感じがしたり。もちろん、変化していたり。
だから、ああなったんだ。って「分かる」のは、本当楽しい。
いや、ほとんどは不明のままですけど。少しでもね。
そう、「あるはずの答え」を求めるのがたぶん、楽しくて。
古代のものは、終わったもので、もう変化しないので。私たちがそれをどうにか見つけ出すだけだから。
絵とかはもう、本当、やってもやってもどんどんすごくなっていって、それを思うだけで疲れる(笑)。まあ気にせず好きで続けられたらよかったんですが! またやりたくなったら!
学校教育の弊害で、すぐ答えを欲しがる。っていう。
たしかに自分はそうで、厄介なところもかなりあると思う。
でも、悪いことばかりじゃないと思うんだよね。
神話なんか、描いてあることの奇想天外さを、楽しめるなら、それはそれでいいと思う。
私は残念ながら、そういう楽しみ方はできなくて
でもだから、「実はそういうこと」というのを探して、知れるというのが、喜びになるわけだよね。
いつも「悪いことばかりじゃない」みたいなのを、言いたい感じw